答えを持たないままの自分でも・上遠野浩平『ドラゴンフライの空』『ギニョールアイの城』

 

 『思い通りの人生』という奴は、本当に存在するのだろうか。

 「いきなり何を言い出すかと思えば」という声が聞こえて来そうな気もするが、自分は時折こんな疑問を持つのだ。確かに世の中には順風満帆な人生を生きているという人もいるだろう。そんな人を「勝ち組」に分類して、自分を「負け組」だとする考え方はあまり好きではないけれど、それでも自分が今思い通りの人生を生きているかと言われれば素直に頷く事は出来ない。

 人は自分の様々な生き方を想像する。自分が理想とする生き方。こうありたいという希望。けれどそれが全て叶うとは限らない。「理想と現実」と言ってしまえばそれまでだが、それは単純に個人の努力不足という事だけではないのだろう……などと書くと言い訳がましく聞こえるだろうけれど。

 人は他者との関係性の中で生きている。自分以外の他者もまた、それぞれの理想や願いを抱えて生きている訳で、そこには当然競争が生まれるし、対立も生じる。自分にとって良い事が、相手にとっては不利益かもしれない。自分が夢や理想を追い求める事が、同じ目標を持つ他者を蹴落とす事になるかもしれない。本当は皆、各々が思い描く理想の人生を生きられれば良いのだろうけれど、残念ながらそれは不可能だ。

 そもそも振り返ってみれば、この世に生まれるという事も自分の意思ではない。綺麗に「両親の愛の結晶」と言ってもいいし、身も蓋もなく「他人の都合」と吐き捨てても構わないけれど、それら他者の意思によってではなく、明確に自らの意思によってこの世に生まれて来たのだと主張できる人はいないだろう。本作に登場する『竜』もまたそうである様に。稀に魂の存在や輪廻といったものを引き合いに出して「貴方も私も、この世に産まれて来る事を自ら望んだのだ」と言う人がいるけれど、仮にそうだったとしても、その自らの意思決定を覚えているという人はいない筈だ。

 この世に生まれて来る事も、その後の人生を生きて行く事も、全てが自分の思い通りにはならない。それは悲観でも諦観でもない、ただの事実だ。日々の生活の中で自分達はその事を嫌という程思い知らされているし、理解している。それでもなぜか自分達は叶わない希望を抱く事をやめられないし、自分の意思を持つという事も捨てられないままだ。そして、そんなままならない自分の生を、諦める事も捨てる事もできなくて立ち尽くしているのだろう。きっと。

 最初から何も願わなければ、望まなければ、そもそも自分の意思や感情など存在しなければ、もっと楽に生きられるのではないかという考え方もある。そんな状態を『生きている』と呼べるのかどうかという問題はあるにせよだ。
 最初から希望を抱かなければ、仮に絶望が待ち構えていたとしてもその衝撃を受けなくて済むという考え方。ロボットの様に与えられた命令を遂行することだけを考え、一切の疑問や悩みを持たずに生きて行ければという考え方。それらは理に適っている様な気もする。しかし、本当に何の希望も感情も持たずに生きて行くという事もまた、自分達にはできない。


“「私には――私にはわからないのよ」
 「なにが?」
 「なにがわからないのか、わからないのよ」
  私は首を振った。 
 「自分はきっと、どうでもいいようなところにいる、それはわかるわ――でもどうやったらそうでないところに行けるのか、全然わからないのよ」”

  上遠野浩平『ドラゴンフライの空』より

 悩みながら、迷いながら、自分達は何とか前に進んで行く。進んで行った先に何があるのか。その行為は報われるのか。そもそもなぜ自分は歩いて行こうとしているのか。わからない事ばかりだ。本当に、何がわからないのかさえもわからない。でもきっと生きて行くという事は、本作でも語られる様にそんな事の繰り返しで……そして自分達にはそれしかないのだろう。きっと。

 (で、お前「わかろうとする努力」くらいはするんだろうな?)
 (まあ、これでも諦めが悪い性分なんでね)

 BGM“CRAWL BACK IN”by Dead By Sunrise

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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