いつか帰れる場所があるから・菅野隆宏『流浪刑のクロニコ』

 

 旅をする事と、旅に生きる事とは違う。自分はそう思っている。

 最近は行く機会も減ったけれど、子供の頃自分はよくキャンプに行っていた。テントを張り、電気も水道も無い場所で焚き火をして調理をし、暖を取る様なキャンプだ。当時は携帯電話なんて普及していなかったから、一度山に入れば誰かと連絡を取る事も容易ではなく、もし不測の事態があったとしても、最初に準備して行った装備と自分の力で何とかするしかない。一言で言えば不便だ。水汲みや薪拾いは重労働だし、夏場は暑さと虫に悩まされるし、冬場は底冷えがする様な中で眠る事もあった。台風の影響で天候が悪化し、豪雨の中で全身ずぶ濡れのまま一夜を明かした事もあった。まあ、今となっては良い思い出ではあるけれど、なぜそんな不便な思いをしてまでわざわざキャンプに行くのかと言えば、それが楽しいからだ。不便の無い自宅で普通に過ごしていたのでは味わう事が出来ない経験をしてみたい。そんな気持ちがあったのだろうと思う。
 しかし、自分は一方でこう思う。キャンプの不便さを楽しむ事が出来るのは、それが終われば帰る事が出来る場所を持っているからだと。

 よく、都会暮らしをしている人が田舎の暮らしに憧れるという話を聞く。中には旅行で田舎を訪れるだけではなく、移住する人もいるという話だけれど、そこではやはり田舎暮らしに馴染めずに、再び都会へと帰って行く人もいる。そうした人々にとって田舎とは「訪れる場所」であって「住む場所」にはなり得なかったという事なのだろう。田舎暮らしやキャンプの不便さを楽しむ事が出来るのは、便利な暮らしが約束されている家や帰る場所を確保しているからであって、その中で一生を暮らす事とは全く違う。いくら山やキャンプが好きだといっても、その暮らしを日常にする人はほとんどいない様に。

 旅もまたそれと同じだと自分は思う。
 人は帰れる場所を持っているから、旅を楽しめるのだ。もしも帰れる場所も持たずに旅をするのなら――それは旅をするというよりも、旅に生きるという事に近いと思うのだけれど――それはきっと辛い事なのではないかと思う。

 前置きが長くなってしまったが、本作『流浪刑のクロニコ』は、永遠に世界をさまよう宿命である『流浪刑』の刻印を持つ少年、クロニコの旅を描く物語だ。
 『流浪刑のクロニコ』の世界には『刻印持ち』と呼ばれる人々が存在する。彼等は皆、与えられた刻印によって、自らの意思とは無関係に生き方を定められてしまった存在だ。自分の意思ではどうにもならない定めだからこそ、人々はそれを『刑』と呼んだ。

 例えば主人公の少年、クロニコに与えられた刻印『流浪刑』は、彼がひとつの世界に留まって暮らす事を許さない。それは自分の意思で旅をする事とは違う。刻印の力による強制的な追放。いつまでその世界に留まれるのかも、これから行く先も選べないクロニコは、正に流浪の中で生きるしかない。ひとつの場所に定住する事は出来ないし、その流浪の中で誰と出会っても、必ず別れが待っている。どんなに離れたくない人に出会っても、彼はその場所を去るしかない。再会の約束も無いままで。だからクロニコは「何も願わない」という処世術を身に付けた。最初から何も願わなければ、出会う人に心を許さなければ、その世界から流浪刑によって引き剥がされる時の痛みを和らげる事が出来る。どうせ自分には居場所はないのだから。帰れる場所は無いのだからと。ただ彼がこれまで選んできたその生き方は、やはり読者にとっては酷く悲しい。

 しかし本作はクロニコの絶望をそのままにはしない。むしろそこを始まりとして、流浪刑という「自分の意思や努力ではどうにもならない定め」を背負わされた少年が、それでも生きて行く道筋を見付け、自分の意思で旅をする姿を描く。その視点は時に厳しくも、優しい。

 本作はファンタジー小説だ。けれど自分達の暮らしの中にも「自分の意思や努力ではどうにもならないもの」は溢れていて、皆多かれ少なかれそれらを背負って生きている。それは本作にある刻印の様に目に見える形で体に刻まれている訳ではないけれど、自分達はそれがある事を知っている。だからクロニコをはじめ、他の登場人物達が持つ刻印のひとつひとつがただの絵空事ではない、他人事ではないと思えるのだろう。だからこそ本作はクロニコの物語であると同時に、自分達の物語でもある。現実を生きる自分達がこれからどう生きて行くか。目に見えない刻印に溢れたこの世界と、どう向き合っていくか。その答えを探す事もまた、長い旅なのだろうと思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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