泥水の中から咲く蓮の様に・江波光則『スーサイドクラッチ』

 

“「この世に残っている魔術師は、詐欺師と手品師と薬剤師だ。全員、魔術師のなれの果てだよ」”

 『魔術師スカンクシリーズ』と銘打たれた江波光則氏の長編シリーズも本作で一応の完結となった。『ストーンコールド』『スピットファイア』と合わせて三部作となっているシリーズではあるけれど、その全てに登場し、シリーズタイトルにもなっている自称『魔術師』スカンク・バッツについて、ここではこれまで書いて来なかったなと思う。

 魔術師を自称する黒人ドラッグディーラー、スカンク・バッツ。ロングのストレートヘアは、脱色しているのかその肌とは対照的に真っ白だ。真っ赤なシングルスーツの三つ揃えを着込み、パールブラックに塗り上げられたフォードのピックアップトラック、パンプキンを転がす。そして、そんなに目立つ格好をしていながら、決して警察に捕まらない。神出鬼没。自作の薬物を『魔法』と称する現代の魔術師。物語の要所要所に登場し、各作品の主人公達に時に魔法をかけ、時に助言を与える。単なるドラッグの売人とは明らかに異なる行動原理を持つスカンクの目的とは何か。その答えの一端が本作では明かされる事になる。

 しかし、本作においてもスカンクは主人公ではなく、あくまでも狂言回しの様な役割に徹している。本作の主人公である秋斗はかつてスカンクの『魔法』の治験体をしていた。言ってみればモルモットで、その「タダで麻薬が手に入る」生活のせいで多くを失った。脳も体もボロボロになり、最早真っ当な暮らしには戻れないし、いつまで生きられるのかの保証もない。高校中退の上、働きもせず、死んだ両親が遺した遺産を食い散らかして生きる日々だ。「普通のライトノベル」の主人公にするにはあまりにも『終わって』しまっているし、人生が『詰んで』しまっている。では「普通じゃないライトノベル」なら? その答えが本作『スーサイドクラッチ』だ。

 秋斗が薬物に走った理由。薬物でも何でも使って『ドロドロになりたい』と願うに至った理由。かつて想いを伝える事もなく別れる事になった、行方不明の同級生、沙都の存在。彼女をもう一度探す為に、既に『終わった』筈の秋斗は再び走り出す。
 しかし自分はこの物語を読んで、別に秋斗が追い求める存在は沙都でなくても良かったのだろうなと思った。仕組まれたイジメの末に、拉致され陵辱され破壊され、あまつさえその姿を撮影されてネット上にバラ撒かれた沙都。そして何もできなかった秋斗。その沙都とは象徴であって、沙都の位置に代入されるものは秋斗にとっての、そして読者にとっての夢でも希望でもいい。言い換えれば谷村志穂氏が『自殺倶楽部』の中で書いていた『ヒカルモノ』が一番近いかもしれない。

 自分がもっと努力していれば、あと一歩踏み出せていたら、自分にもっと力があったら、諦めさえしなければ、その手に掴めていたかもしれない存在。夢や希望。大切な何か、或いは誰か。ヒカルモノ。沙都とはそんなもの達全ての象徴だ。それらを失って、取り上げられて、取り戻す事ができなくて、目的もなく余命を一日一日すり潰す様に生きる秋斗の姿は、どこか自分達が生きる日々にも重なる。大事なものは奪われて、大切なものは汚される。これまで自分達は多かれ少なかれ、そんな経験をして来た筈だから。
 
 自分は『ストーンコールド』で初めて江波作品に触れたのだけれど、この三部作を読み終えて思う事は、セックス・ドラッグ・バイオレンスを地で行く江波作品のストーリーを『泥』に喩えるなら、その中にあるテーマは『蓮』なのだろうなという事だ。
 仏教では、蓮は泥水の中から生じて美しい花を咲かせる事から清浄なものや仏の智慧の象徴として扱われる。それと同じ様に、江波作品が持つ『泥』の中から描き出されるテーマは蓮の花の様な清浄さを持っている。ある意味で潔癖さを感じさせる位に。ヤクザだジャンキーだ、ビッチだメンヘラだと散々な登場人物達を掻き集めて展開される物語なのに、それでも消えないライトノベルらしさ。時折顔を覗かせる中二的なまでの潔癖さ。自分はそれが江波作品の持ち味なのではないかと、勝手に思っている。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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