捨てられない意思を抱えて・吉上亮『パンツァークラウンフェイセズIII』

 

 1巻の感想はこちらに。作品の基本設定等についてはこちらで触れているので繰り返し説明する事はしないけれど、最近『管理社会』をテーマにした作品が注目される事には何か理由があるのではないかと思う。それは時代性なのかもしれないし、現実の社会情勢の中に原因があるのかもしれない。

 近年、自分が目にした範囲で管理社会を描いた作品というと、まず本作の1巻の宣伝文にも「ポスト伊藤計劃」と書かれていた様に故・伊藤計劃氏の『虐殺器官』『ハーモニー』が思い出される。アニメでは『PSYCHO-PASS』があった。共同脚本を務めた深見真氏によるノベライズ『PSYCHO-PASS 上』『PSYCHO-PASS 下』も刊行された。実はそこから興味を持って、最近ようやくジョージ・オーウェルの『一九八四年』を読んだのだけれど、(こういう所が自分の読書傾向が偏っている証拠)これら数多くの管理社会をテーマとした作品が作る流れの中に、本作もまた位置していると言えるのではないだろうか。

 個人的な感覚で言えば、本作が提示する『行動履歴解析』と『情報的行動制御』と呼ばれるものの中身はそんなに現実離れしたものでもない。それに近い事をこれまで自分達はやって来たし、今現在も自分達はそれを行なっているのではないだろうか。自分はもう30代半ばなので、自分の人生を振り返ると余計にそう思うのだけれど、『行動履歴解析』や『情報的行動制御』という耳慣れない言葉で表されているから馴染みが無い様に思えるだけで、自分も昔はそれに近い事をやられていた様に思える。それも実にアナログな方法で。それは「成功体験の収集と、それに基づく教育」と言い換えると分かり易いかもしれない。

 自分が小中学生の頃まではまだ、高度経済成長の延長線上にある学歴社会や終身雇用制度というものが生き残っていた。だから大人達は自信たっぷりに「一生懸命に勉強をして、良い高校、良い大学に進学し、一流企業に就職する事が人生の正解である」という様な事を断言する事が許されていた。あの頃の大人達には「自分達は正解を知っている」という感覚に裏打ちされた自信があった様に思う。ただ、そうした生き方を提示された側にとってそれは大人達からの『価値観の押し付け』であって、それに対するささやかな抵抗として尾崎豊の曲がヒットしたりもした。氏の歌の歌詞に「この支配からの卒業」とある様に、管理される側だった自分達はそれを不当な支配だと感じて抵抗していたのかもしれない。自分という個人の意思が、社会から管理されようとしている。教育という名前の管理によって、自分達の自由意志が抑圧されようとしている。そうした認識が正しかったのか間違っていたのかは置くとして、自分がそれらに一番過敏で自覚的だったのは、きっとこの頃、中学時代の半ばから高校時代までだったろう。

 結局その後の社会がどうなったのかと言えば、バブルは崩壊し、年功序列や終身雇用制度など影も形も無くなり、就職氷河期がやって来て、企業はリストラという名の首切り装置に従業員を次々と送り込み始め、正規雇用は非正規雇用に侵食されて経済格差が助長され、気が付けば自分も立派に『ロストジェネレーション』とか呼ばれる始末になっていた。駆け足で振り返るとまるで笑い話だ。当事者である世代は全く笑えないが。

 そして現在、社会は不安の中にある様に思う。一昔前の様な『正解』が見えない社会。どうやって生きて行く事が幸福に繋がるのか。一体何が正解で、何が間違いなのか。遂にはそうした社会不安を背景にして信者を増やした新興宗教がテロ事件を起こすまでに至った。更には少子高齢化が現役世代を押し潰し始め、震災・原発事故にまで見舞われるに至り、正に「世も末」という言葉が実感を持ち始める中で、また管理社会をテーマにした作品が生まれ始めるという流れがある……と言ったら言い過ぎかもしれないけれど、平たく言ってしまえば「実は自分達はもう管理されたがっているんじゃないか」という事だ。

 生き方に悩む事に疲れ果てて、どこかに正解があるというのならそれを教えてもらいたい。仮にそれが管理社会に近い性質のものだったとしても、それに乗っかる事で安定した生活が得られるならある程度の不自由は容認出来る。そうした価値観に立つ時、自分という個人の何割かは公共的なリソースとしてカウントされる事になるし、自分が所属する社会全体の利益に反する様な自分勝手な振舞いは出来なくなる。『空気を読む』とか『コミュニケーションスキル』とか言われるものにしても、ひとつの集団の中で個人が取るべき振舞いの探り合いというか、自縄自縛に近い緩やかな管理の中から自分がはみ出さない様にする為のスキルなのではないかとも思える。安定を得る為に管理や束縛を容認し、むしろ自ら率先してそれに乗っかるとともに、他人にもそれを要求する社会。その現在から、更に管理の度合いを強めて行った先の世界を、今小説や漫画、アニメといったフィクションの世界が描き出している。その先で何が起こるのかといえば、それは歴史が一周して元に戻る訳ではないけれど、また過度な管理に対する個人の意思の抵抗なのではないか。

 言われるままに生き、管理される事で得られる安定。それは不安定な足場に立たされている人間が求めるものかもしれない。けれど誰か、或いは社会に言われるままに生きるのだとすれば、そこで生きるのは『自分』である必要がない。社会の中で同じ役割を果たす事が出来る誰かで構わない。自分の意思、或いは感情という厄介な荷物の置き場所を、自分達はどうしても求めてしまう。それは滑稽な事なのだろうけれど、伊藤計劃氏が『ハーモニー』で描いてみせた様な世界観にまで跳ぶ事が出来ない自分達は、こんな風に不恰好に自分と社会との折り合いを付けて行くしかないのだろう。今はまだ。

  

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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