錆びついて行く記憶を抱えたまま・上遠野浩平『ブギーポップ・ウィズイン さびまみれのバビロン』

 

 忘れられない人などいない。忘れたくない人がいるだけだ。けれど自分は知っている。そんな大切な記憶さえ、いつかは消えるという事を。

 中学生の頃、同級生が亡くなった。

 特に親しかった記憶はない。けれどそのクラスメイトの死が、今の自分のものの考え方や生き方に与えた影響は大きかったと思う。有り体に言えば、自分はその死がどうしても許せず、納得できなかったが故に、ここでこうして生きているのかもしれないとさえ思う。

 同じ学校に通い、同じ様な場所で暮らしていた。同じ様に授業を受けたし、多分同じ様な事で一喜一憂していただろう。でも一方は死に、一方は生き残った。
 そこに差異は無かったと思う。死ななければならない様な理由があった訳ではないし、生き残る程の何かがあった訳でもない。ならば死ぬのは誰でも良かった。他の誰かで構わなかったし、もちろん自分でも良かった。むしろ自分の方が良かった。でも結果として死んだのはクラスメイトの方で、自分ではなかった。文章にすればたったこれだけの事だ。ただ、たったこれだけの事が許せなかった。本当に、どうしても許せなかったのだ。その死は不条理だと思った。この世の何を許せないかと言えば、自分に許せなかったのはその死だった。だから自分は忘れるべきではないと思ったのだろう。その死を。そしてその人の事を。

 もちろん、こんな事は自分が勝手にやっている事だ。そのクラスメイトが、自分にこんな事をしてくれとか、自分を忘れないでいてくれとか、こんな生き方を選んでくれと頼んだ訳じゃない。そもそも死者は何も願わない。生者に語りかける事もない。だから自分は自分勝手な理由で、そのクラスメイトの事を忘れまいとしただけだ。それに意味はない。価値もない。でも自分にとっては大事な事だった。ただ、その頃の自分は気付いていなかった。人間は、どんなに大切な事でも忘れてしまえる生き物だという事に。

 ある時、自分はそのクラスメイトがどんな声で話していたのか思い出せなくなっている事に気付いた。それが始まりで、忘れたくない記憶は次々と欠けて行った。今ではもう、その人が中学生の一時期まで自分達の近くにいたという輪郭の様なものしか思い出せない。その輪郭にしたって、自分が必死になって、自分の記憶の中から消えて行くその人の姿を残しておこうとして刻み付けた歪な傷跡でしかない。それはきっと、そのクラスメイト本人とは似ても似つかないものになってしまっているのだろう。変わり果ててしまっているのだろう。自分もその事には気付いているけれど、自分が作り上げた輪郭ではない、その人の本当の姿を思い出そうとしても、もう思い出す事はできない。自分の記憶は穴だらけだ。大切なものをあっさり忘れ去ってしまう一方で、忘れたい様な恥の記憶はいつまでも消えてくれなかったりする欠陥品だ。本当に、ままならないなと思う。それでも日々は続くけれど。

 誰かを忘れずにいようと願う事。たったそれだけの事が、これ程までに困難で遠い。自分は自分自身の記憶に裏切られたり欺かれたりしながら、それでもやはり過去を振り返る。何度も何度も。そうやって思い出を頼りに、何とか自分の居場所を、これまで自分が歩いて来た道程を確認しながら今日を歩いている。その思い出がどんなに錆びついてしまっているとしても、事実からかけ離れたものになってしまっているとしても、歪な記憶の残骸――或いは消えかけたイマジネーション――でしかなくとも、自分はそれを忘れようと思う事ができない。捨てる事ができない。けれどそれは縛られているのではなく、むしろ自分の方がそれに縋っているのだろう。きっと。そうする事で、この自分はやっと生きて行けるのだ、とでも言うかの様に。

(で、ここにこうして書き留めておく事も、忘れたくないが為の無駄な足掻きなんだな?)
(……無駄かどうかを決めるのは他の誰でもなく自分自身だけどな)

 BGM“Lonesome”by ELLEGARDEN

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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