憎しみの連鎖を断ち切る為に・菅野隆宏『流浪刑のクロニコ 不殺刑と羅刹刑』

 

 一巻の感想はこちらに。
 『刻印持ち』と呼ばれる人々が、自らに与えられた『刑』と向き合いながら生きる姿を、『流浪刑』を背負った少年、クロニコの視点で描くという基本的な構成は今回も変わらない。今回の物語で軸となるのは何も殺せない定めである『不殺刑』の青年と、それとは真逆に殺し続けなければならない『羅刹刑』の少女だ。この二人の物語は、現実問題としてこれまで何度も語られてきた「憎しみの連鎖を断ち切る為にはどうすれば良いのか」という問いに繋がって行く。

 人間が争ったり、憎しみ合ったり、殺し合ったりしてしまう事。紛争や戦争。そういったものがこの世界から絶えた事はない。誰もが幸福に生きる事を希求しながら、その一方で争いが絶えない事。そこには様々な理由があるのだろうと思う。それこそ、ここには書ききれない程の理由が。
 その一例として、差別や偏見に基づいた教育がある。人種が違うから、国が違うから、信仰が異なるから、連中は敵なのだという教育。また、過去の紛争や戦争の歴史から、かつて敵同士だった頃に相手から受けた苦しみを忘れず、後世に伝えようとして行われる教育。それらは子供達の世代にまで差別意識や敵対意識を伝えてしまう。皆、頭ではそれらがいかに不毛な行為か気付いている。互いに憎しみ合っていても誰も幸福にはなれない。いがみ合い、互いに傷付け合っても得るものはないと。でも、頭で理解している事と、実際に自らの行いを改められるかという事は別問題だし、人間の感情は相手から憎しみを向けられれば、こちらも同じ様に憎しみで返してしまう様に出来ている。明確な敵意を持って接してくる相手に好意を返す事は難しいし、差別意識を持った相手の考え方を変える事は困難だ。

 平和主義を唱える人々に対し、現実主義者はしばしば「仮に貴方の家族や友人、恋人が誰かに殺されたとして、相手を許せるというのか?」という問いを発してきた。どんなに綺麗事を並べても、実際に自分達が犠牲者の側に立たされれば相手を許す事など出来ない筈だと。そしてその主張はきっと「現時点では」正しい。自分達はまだ、誰かを本当に『赦す』という事を実践する事は出来ないだろうから。家族が殺されれば相手を憎む事は当然だし、それが個人ではなく国同士、或いは民族同士の対立であったなら、直接手を下した人間のみならず、敵対勢力に属する全ての人間を憎む事にも繋がって行くだろう。もちろんそれを「不毛だ」「間違っている」と言葉で否定する事は容易い。しかし、そんな「自分自身の感情すら騙せない様な言葉」には、やはり力は無い様に思う。自分達の理性はまだ、感情よりも弱い。感情は叫び続ける。決して相手を赦すな。そして復讐しろと。できれば自分達が受けた苦しみや悲しみを倍にして相手に返してやれと。だからこの世界から争いは絶えないし、差別もなくならない。

 それらを踏まえた上で、今の日本について考えてみる。戦争こそしていないけれど、周辺諸国との関係は決して良好とは言えない。それは過去の戦争の歴史に起因している訳だけれど、自分が危惧するのはやはり相手国が行っている反日教育の事、そして実際に戦争を経験した世代が少なくなって行くであろう事だ。両国に戦争の悲惨さを知る世代がいなければ、戦争を知らない世代が再び誤った選択をしようとする時に歯止めになれる者がいない。
 日本の若い世代からしてみれば、実際に自分達がやった訳ではない過去の戦争についていつまでも責められ、叩かれ、謝罪や賠償を要求される現状を不愉快に感じるのは当然の事だ。しかし相手国からすれば、いくら未来志向と言ってみても過去に生まれた憎しみは簡単に消せるものではない。現実は、物語の様に時計の針を巻き戻して、過去の悲劇を消してしまう事は出来ないから。

 一度生まれた憎しみは容易には消せない。自分達はその『負の感情』を抱えた状態で、それでも理性を持って現実問題に対処して行かなければならない。さもなければ自分達はまた、その憎しみや差別意識をきっかけとして相手と戦争をするはめになる。そして、仮にそうなってしまったとすれば、それはまた新たな憎しみを生み出す事にもなる。この世界から争いが消えない理由のひとつは、この負の連鎖を自分達がいつまでも断ち切れない事にある。
 『流浪刑のクロニコ』では、物語の力によって、この負の連鎖に挑んでいる。ならば現実を生きる自分達は、何を力としてこの負の連鎖に挑めば良いのか。そんな事を考えると同時に、人間の感情というもののままならなさを思った。感情は自分の思い通りにはならない。そして捨てる事も出来ない。それはどこか本作に登場する『刻印』にも似ているのではないだろうか。
 
 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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