歪んだ純粋さを恋と呼ぶのなら・入間人間『僕の小規模な自殺』

 

 自分は入間人間氏の代表作である『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』を未だ読まずにいるという、ある意味偏った入間作品の読者なのだけれど、入間作品を読んで毎回思うのは、この『作者や登場人物がどこまで本気なのかさっぱり分からない程軽妙な文体』の特異性についてだ。

 『僕の小規模な自殺』にしても、物語の内容からすればもっと重く書く事は可能だと思う。大学生の青年が、未来からやって来た使者から「片思いの女性が3年後に病死する」という事実を聞かされ、その運命を変える為に奮闘する、という内容だからだ。それがなぜ『自殺』に結び付くのかは本作を読んで頂くとして……まあよくある展開といえばよくある展開なのかもしれない。ただ入間作品の場合、ここから物語に肉付けをして行く過程が独特なのだろうと思う。その感性は最早『入間的』としか言い様がない。

 同じ物語を違う作家が書いたとしたら、もっと悲劇的に書く人もいるだろう。もっと大袈裟に話を膨らませる事も出来るし、ライトノベルならいっそ現代劇である事を捨ててアニメ・漫画的な設定にしてしまう事も出来る。ただ入間氏はこの物語をとことん軽く描こうとする。『未来からの使者』は何故か『人語を話すニワトリ』だし、3年後に病死する運命だという彼女にしても、特に現時点で病床にいる訳ではない。片思いの主人公もその言動はとことん軽い。ただ、これもまた入間作品の特徴として、どんなに文体や登場人物同士の掛け合いが軽妙で、一読してどこまで本気なのかさっぱり分からない作風に思えたとしても、作者も登場人物も『間違いなくどこまでも本気である』という事だ。

 例えば片思いの相手が病死するという運命を変える為に未来をねじ曲げてしまうならば、そこには当然不利益を被る人間が出て来る。もっと言えば、彼女を救おうとする事が、その他の大多数の人間を敵に回す事になる場合もある。仮に彼女を救おうとする事が世界を敵に回すに等しい行為だったとして、人はその行為を貫けるものだろうか。普通ならばそこには葛藤がある筈だし、苦悩がある筈だ。しかし入間作品において、主人公はその壁をあっさりと、飄々とした態度のまま乗り越えて行く。「彼女を救う為に残りの全人類が(自分を含めて)滅んだところで、それが何か?」とでも言わんばかりだ。そしてその想いは、どこまでも本気だ。このバランス感覚は、ちょっと独特だと思う。ある意味では純粋なのかもしれないが、純粋過ぎて狂気の半歩手前辺りに立っているのではないだろうか。

 きっとそこにあるのは「彼女の事が好きだ」という想いだけだ。そして「彼女に幸福でいて欲しい」という願いだけだ。そこに自分への見返りや、自分自身の幸福は含まれない。彼女が幸せになる為であれば、自分は彼氏彼女の間柄になれなくても構わない。自分が不幸になっても構わないし、彼女以外の誰が不幸になったとしても構わない。世界を敵に回そうが、世界が滅ぼうが、自分が滅ぼうが知った事ではない。そこまでの情念を、ここまで軽やかに描く事が出来るのはなぜなのだろうと思う。

 ライトノベルとしても恋愛小説としても、どこか歪な作品なのに真っ直ぐさを感じさせる。このさじ加減が入間作品の妙なのかもしれない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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