肉のカタマリ、という言葉が持つ刺・佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』

 

 『肉のカタマリ』

 平凡な人間を指す言葉としてこれだけ適切かつ容赦無い言葉もなかなかない。「平凡な人間なんて所詮は肉のカタマリでしかないんだよ」などと言う時、或いは言われる時、そこには妙な説得力がある様に思う。そして本作には、『肉のカタマリ』の対義語として『覇王』という言葉が登場する。

 『覇王』になれない者は『肉のカタマリ』になるしかない。それが嫌なら、武力を、権力を、財力を手にして『肉のカタマリ』どもを支配し、統治し、搾取する側にまわる事だ。本作の主人公であり、かつて『覇王』として街に君臨した祖父の直系でもある『僕』は、祖父の様に『覇王』であろうとするが、気付けば自分もまた他の大多数の人間と同じ様に、平凡な『肉のカタマリ』として何者にもなれないまま19歳を迎えてしまった事に愕然とする。一般人を『肉のカタマリ』と揶揄し、自分は連中とは違う、自分は『覇王』になるのだと息巻いてはみるものの、どうすれば『肉のカタマリ』である事をやめて『覇王』になれるのか明確なビジョンは何もなく、『僕』は未だ何者にもなれないまま、もうすぐ10代が終わってしまうという焦燥感に苛まれる。

 若者ならば皆一度は「このままの自分でいたくない」「何者かになりたい」という自分自身の欲求に押し潰されそうな程の焦りを抱いた事がある筈だ。しかし悲しいかな、世の大半の人間は特別な自分など確立する事もなく、本作で筆者が書く様な『肉のカタマリ』として生きて行く事になる。もちろん、この自分だってそうだ。

 自分は平凡な人間だと思う。特別な事なんて何も無い。成人し、社会人になってからは、日々会社と家とを往復し、仕事をこなして給与を得る事で生活している。大きな変化の無い、安定した日々の繰り返しはある意味で『機械的』だし、最低な言い方をすれば『社畜的』ですらある。最近は上司の顔色伺いをして生きる日々に若干疲れてきた所もあるが、サラリーマンならきっと同じ様な思いをしている人が大半なのだろう。自分だけが辛い訳でもなければ、特別な訳でもない。それが現実の世界を凡人として、平凡に生きて行くという事なのではないかと思うが、小説である本作もまた異様な程に現実的であろうとする。

 本作が、例えば江波光則氏の作品等と比較して異質なのは、主人公である『僕』が『覇王』を目指しながらも、結局は『肉のカタマリ』である現実からいつまでも抜け出せないという事にある。
 『肉のカタマリ』でいたくないのなら、社会的成功を収め、金や権力を手に入れて成り上がるか、法や良心に束縛される事をやめ、犯罪者となる事も厭わず、アウトローとして生きて行く事を選択するか、いずれにせよ現状から抜け出さなければならない。それこそ小説は現実ではないのだから、作者が望めば登場人物達にどんな行為をさせる事も自由だ。成り上がりで上り詰める事も、犯罪者としてどこまでも落ちて行く事も、現状を許容せずに突き抜けて行くという方向性では同じだ。上り詰めた先、或いは落ちて行った底には、少なくとも現状の停滞とは違う景色が広がっている筈だから。その結果として自分が破滅する事になろうが、江波作品の登場人物達は疾走して行く。しかし本作の主人公である『僕』は、現状の『肉のカタマリ』として生き続けるレールから逸脱するチャンスを何度か手にしながらも、結局はそこから踏み出す事が出来ない。

 本作はエンタメではないと思う。社会に対する不満や自己嫌悪を自身の中に詰め込めるだけ詰め込んで、内圧を高めるだけ高めておきながら、結局は炸裂する事が出来ない不発弾の物語だからだ。読者からすれば、主人公がいつか炸裂する事を期待してしまうが、本作はそんな読者の期待を裏切り続ける。現実はどこまでも『僕』を縛り続け、そこから抜け出す為の助走はいつも失敗に終わる。『僕』は躓き続ける。挫折し続ける。成功する事も破滅する事も出来ないまま。その不発弾的な生き方は小説の登場人物としては異質に感じる。しかし一方でそれは自分も含めた多くの凡人たちが生きる『現実』でもある。

 『肉のカタマリ』という言葉に嫌悪感を覚えながら、それでも本作を読み進める事自体を嫌悪せずにいられるのは、恐らくその言葉が読者の側にだけ向けられたものではないからだろう。『僕』が平凡に生きる人々を嘲る様に『肉のカタマリ』という言葉を連呼する度に、その言葉が持つ刺は『僕』の方にこそ突き刺さって行く。理想から程遠い自分。『肉のカタマリ』でしかない自分。それを受け入れ、諦めつつある自分。そんな現状に対する嫌悪と絶望に塗り潰された日々の生活から抜け出す事が出来ない自分。『覇王』という言葉の代わりに『夢』や『希望』や『理想』を代入してみれば、本作はそのまま自分達が生きるこの世界の現実になる。平凡な大人にとって、そこはかつての自分が通過した場所に他ならない。

 恐らく、思春期に読むか、大人になってから読むかで本作の評価は分かれると思う。これから先『僕』と同じ様に葛藤する日々を迎えるであろう若者達が本作を読んだ時、どんな感想を持つのだろう。既に『肉のカタマリ』である自分は、ふとそんな事を思った。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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