全ての記憶を糧として・深見真『キャノン・フィストはひとりぼっち 1』

 

 深見真氏の著作を読むと「ああ、若者向けのエンタメとはこうあるべきだよな」という安心感を得られるので好きだ。

 『ヤングガン・カルナバル』『疾走する思春期のパラベラム』『僕の学校の暗殺部』等、深見氏の作品には学園を舞台として若者が活躍するエンタメ小説が多い。その特徴はダイナミックなアクションシーンの描写と詳細なミリタリー設定、そして何より勧善懲悪である事だ。悪役は同情の余地無く悪であり、それと戦う主人公達は間違いなく善であるという構図。そこをブレさせない事は作品が気持ちの良いエンタメとして成功するかどうかのキモに当たる。

 話は少し作品から逸れるが、自分は昔とあるRPGをやっていて辟易した事がある。どの作品とは言わないけれど、なぜ辟易したのかというと、その作品が過剰に「敵には敵の事情がある」事を強調する作品だったからだ。プレイヤーは当然主人公達に感情移入するのだけれど「敵対する側にも彼等が唱える正当性があって、しかもそれがあながち間違った主張でもない」という作品だと、むしろ相手の方に正当性があるのではないかと思ってしまう事がある。一度そういう風に『覚めて』しまうと、もう一度主人公達の立場で物語に没頭する事が難しくなってしまう。まあこれは個人的な好みの問題なのだけれど。その点深見氏の作品は「悪は悪である」という軸がブレない事によって読み終えた後にとてもスッキリする事が出来る。敵側の事情を深く掘り下げた作品もそれはそれで好きだけれど、そういう作品を読みたい時とはまた別に、本作の様な作品を読んで爽快感を得たい時もある、という訳だ。

 本作における敵とは、人間ではない。『記憶喰らい』(Memory Eater 略称 [M・E])と呼ばれる怪物だ。[M・E]は巨大な昆虫や鳥等、様々な姿をしているが、共通して人間を襲い、その記憶を喰らう。記憶を喰い尽くされた人間は『白紙化』し廃人同様となった挙句、やがて生命活動を維持出来なくなって死に至る。
 通常兵器が通じない[M・E]に対抗するのは特殊能力を与えられた少年少女だ。そして主人公である高校生の伊吹雪弥もまた『キャノン・フィスト』という力を得て[M・E]と戦って行く事になる。

 人は記憶を奪われると死に至る、という設定は巧妙だなと思う。実際、記憶の中には楽しい記憶だけではなく、忘れてしまいたい様な恥や失敗といった嫌な記憶、辛い記憶がある。しかし、そんな記憶も含めた全ての記憶が今の自分自身を形作る骨格になっているし、血肉になっている事は確かだ。記憶を糧にして生きて行くべきは人間=自分自身であって、[M・E]ではない。
 人は良い記憶も、忌まわしい記憶も、全てを糧にして今ここに立っている。仮に辛い記憶であったとしても、それを吸い取られ、自分の中から消去され、文字通り喰い物にされるという事は、生皮を剥がれ、臓物を抉り取られ、骨から肉を削ぎ落とされる事と同種の苦痛だろう。その痛みをリアルに想像する時、[M・E]の邪悪さはより一層際立つが、それと同時に主人公達の活躍によって読者が得られる爽快感も増して行く様に思う。悪を叩き潰す正義の味方。変身ヒーローというのはかくあるべし、と思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon