信念の物語として・冲方丁『光圀伝』



 Twitterの方でも少し触れたけれど、やはり冲方作品はジャンルが変わっても一貫してブレない信念というか、気迫の様なものが感じられる。

 ライトノベルやSFをあまり読まない読者層からすると、本屋大賞受賞作である『天地明察』で初めて冲方作品に触れたという方も多いかもしれない。『天地明察』から『光圀伝』へ、そして『はなとゆめ』へという流れは分かり易いだろうと思うけれど、一時期ライトノベルや漫画原作、アニメのシリーズ構成といった世界を主戦場にしていた冲方氏が一般文芸へと越境して行った過程を知る読者としては、やはり冲方作品の魅力はジャンルの枠に囚われない信念に貫かれている所だろうと思う。それは登場人物達の信念でもあるし、作者の信念でもある。

 冲方作品の登場人物達、中でも主人公は数々の試練を乗り越えて行く事を求められる。『マルドゥック・スクランブル』のルーン=バロット、『ばいばい、アース』のラブラック=ベル等は言うに及ばず、それこそ『カオスレギオン』シリーズ等を執筆していた頃から、氏の作品の主人公達は皆過酷な運命に立ち向かう事を求められてきた。それは歴史上の人物を主人公に据えた『天地明察』や『光圀伝』でも変わらない。作品のジャンルは時にライトノベルであったり、SFであったり、時代小説であったりするが、そこで語られる主題は一貫している。それは、人は如何にして生きて行くのかという事だろう。それは大きなテーマであり、誰もが納得する様な正解は無いのかもしれない。だが……いや、だからこそ作者はそのテーマを執拗に描き続ける。必死に生きようとする者の姿を追い続ける事で、人が生きるという事の困難さと、その意味を、意義を描き続ける。

 本作『光圀伝』でもまた、主人公である水戸光圀は自らが生きるべき道を求めて行く事になる。水戸光圀と言えば、時代劇『水戸黄門』の主人公としても広く親しまれる人物だが、実際に諸国漫遊をしたという史実は無い。しかしながら、水戸光圀の人生を旅に喩えるならば、それは水戸黄門の諸国漫遊よりも更に長く、そして険しい道程を歩み続けなければならない過酷な旅路であったのだろう。『光圀伝』で描かれる水戸光圀の姿は、水戸黄門漫遊記で描かれたおおらかなご隠居様のそれではなく、生きる事に対して常に切実であり、時に苛烈ですらあった。しかしそれは、彼が歴史に名を残した偉人だから、というばかりではない。

 自分達もまた、いずれは歴史と呼ばれる事になる時間の中で生きている。作者もまたその事に自覚的だと思うが、歴史上の人物達が必死に生きたのと同じ様に、今この時を生きる自分達もまた様々な困難の中でもがいているのだろう。人が生きるという事はそういう事だと思う。背負ったものやこれまで歩いて来た道程は違えども、皆がそれぞれの人生を懸命に生きている。そして、その困難と向き合っている。偉人も、凡人も、それは変わらない。だから読者である自分は、光圀に感情移入する事が出来る。彼が必死に生きた姿を物語として追う中で見えてくるものは、自分にとってもある種の救いだろう。

“「みな、生きてこの世にいたのだ! どれほどのものが失われ、奪われようとも、人がこの世にいたという事実は永劫不滅だ! それが、それこそが、史書の意義なのだ!」”

 史書編纂に情熱を燃やした光圀の叫びは、そのまま震災後の自分達の生にも重なる。失われたもの、奪われたものはあまりに多い。余りにも多くの命が失われた。それでも今ここで生きている自分がいる。そして、その自分もまたいつかは死ぬ。だがそれは絶望ではない。自分が生きた事は、必ず誰かに受け継がれる。たとえ歴史に名を残さなくても、無名の凡人であろうと、自分が生きていた事実は消えない。無にはならない。自分の生は、自分が生きる今は、無価値ではない。そう信じる事が出来れば、それはこれから先の生を歩んで行く上での救いになる。

 最後に繰り返しになるが、冲方氏の作品はジャンルの壁を超えて行く信念に裏打ちされていると思う。発表の場がライトノベルであれ、一般文芸であれ、その本質は変わらない。『天地明察』や『光圀伝』から冲方作品のファンになった方には、普段ライトノベルに馴染みが無い方もいるかもしれないが、騙されたと思って読んでみてもらいたい作品が数多くある。『テスタメントシュピーゲル』もようやく再始動する様なので、自分もまた『はなとゆめ』などを読みながら期待して待つ事にしようと思う。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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