神を殺せない弱さを抱えて・江波光則『パニッシュメント』

 

 自分は『ストーンコールド』から江波作品を読み始めたので、それ以前にガガガ文庫から出版されていた『ストレンジボイス』『パニッシュメント』『ペイルライダー』の所謂「学園三部作」はこれまで読まずにいた。それで、先日電子書籍版を3冊一気読みしたのだけれど、この中のどの作品について書こうかと考えた時、自分が選んだのは『パニッシュメント』だった。

 『パニッシュメント』では、新興宗教の教祖を父に持つ主人公の郁と、その新興宗教に母がのめり込む事で家庭崩壊の危機にある常磐の関係性を軸に物語が展開される。郁と常磐は幼馴染であり、友達以上恋人未満な関係でもあるが、常磐は郁の父親が、自分の母がのめり込んでいる新興宗教の教祖である事実を知らない。常磐に父が教祖である事実を知られる事を恐れる郁だったが、クラスの人間関係が奇妙に捻れて行く中、彼は次第に追い詰められ、逃げ場を失って行く事になる。

 実は自分は、大学時代の専攻が宗教関係だった。オウム事件をきっかけとして、人間と宗教の関わり方について興味を持った事も宗教について学んでみようと思ったきっかけの一つだった訳だけれど、そこで学んで来た事や、その中で実感した事をベースに『パニッシュメント』を読んでみると、郁の父親が始めた新興宗教と、そこに集まる信者の関係がリアルに描写されている事に気付く。

 「救いを求めて藁をも掴む思いの信者と、彼等が望む様な物語を与えてやる代わりに信者から金銭を搾取する新興宗教」という構図は、オウム事件以後であれば誰もが思い描く新興宗教の問題点だが、本作で教祖となる郁の父親、崇志は「信者を騙して金を巻き上げる悪人」というよりも、自分がやっている宗教の事もどこか客観視している様な、冷めた視点を持つ人物として描かれている。まるで「神様の存在を信じようとして様々な宗教を学んで行った結果、それによって逆に神の不在を実感させられる羽目になって信仰を捨てた哲学者」の様に「自らの宗教を客観視する教祖」の姿は淡々としている。まるで「人間観察や人心掌握術に長けた事が行き過ぎて、自分の事まで客観視する様になってしまった」とでもいう様に。この世の全てはどこまでも他人事であり、自分の事も他人事であるかの様に。それならば信仰など捨ててどこまでも俗っぽく、私利私欲の為に信者から金を巻き上げる教祖になれれば良かったものを、きっと彼は心のどこかで信仰を捨てきれなかったのだろうと思う。神の存在を、最後まで信じたかったのだろうと思う。

 信仰というものについて語る事は難しい。それこそ本気で語ろうと思えば分厚い本が何冊も書き上がる程だ。語り尽くすという事が不可能な程深遠なテーマとも言えるが、その深遠なテーマについて考えるきっかけなり手助けとして本作を読んでみるのも面白いかもしれない。学問という奴は、真面目な専門書から入らなくても、いくらでも入り口があるものだし、どこから入っても深く掘り下げて考える事が出来る。それが面白い所だし、そうあるべきだと自分は思う。

 最後に、長い蛇足を。
 江波作品の特徴として、映画や映画俳優、音楽やミュージシャン、小説や作家等の名前が文中に無造作に放り込まれている事があると思う。それがどんな作品だとか、どんな人物かという説明は、ほとんどの場合、一切無い。ただ名前だけが登場し、登場人物達はそれを知っている、という風に処理される。

 自分は映画や音楽について博識ではないし、読書傾向も偏っているからそれらがどんなものか分からなくて、時には気になって検索してみたりもするけれど、本作で登場するナイフについては珍しくその元ネタがわかったのでちょっと嬉しかった。「刃の付け根に、裸の女が寝そべった刻印が刻まれている」ナイフなんて、ナイフ好きに聞けば「知らなきゃモグリだ」って言われるレベルだ。

 R.W.ラブレス作のカスタムナイフ。女性の裸の刻印はヌードマークと呼ばれる。アウトドアが好きで、ナイフが好きな人間なら、それは実用品のナイフというよりももう宝物であり、財産だ。物によっては100~300万という高額で取引される事もある。しかし価格以前に、ナイフを愛する者、それもラブレスナイフを所有する様な者なら「ナイフを凶器にしない」という事は誰に言われるまでもない不文律だ。それを人に向けなければならない程追い詰められたのだという事、その過程を執拗に描写するのではなく、「ラブレスナイフを凶器にした」という行為をそっけなく投げ出す様に書く事で、逆にそれを知っている者にはより深い情報が伝わる様にする。この辺りが江波作品の遊び心なのかなと思わなくもない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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