不正義からの脱走 ジョシュア・キー:著 井手真也:訳『イラク 米軍脱走兵、真実の告発』

 

 実はゴールデンウィーク中に、靖国神社、遊就館、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を一人で巡って来た。行ったのは5月3日の憲法記念日。改憲が議論され、また首相の靖国参拝を問題視する声も聞かれる中、一度は自分の目で見ておかねばなるまいという気持ちがあった。
 自分は以前都内に住んでいた事もあるのだけれど、その時は行く機会が無かった……というよりも、そもそも行こうという気持ちにならなかった。それが今になって行く事になるというのも何か不思議な感覚ではある。
 個人的には、多くの参拝客や見学者で賑わう靖国神社、遊就館よりも、訪れる人も少ない千鳥ヶ淵戦没者墓苑の静謐さの中に立った時の方が、過去の戦争について、そして戦没者の慰霊の形について色々と考えさせられた。

 以前、ブライアン・キャストナー氏の『ロングウォーク 爆発物処理班のイラク戦争とその後』という本の感想でも書いたけれど、自分は戦争を知らない世代だ。太平洋戦争を戦ったのは祖父の世代であり、その戦争体験を直接聞く機会もあまり無かった。父方の祖父は早くに亡くなり、今は亡くなった母方の祖父も自分の戦争体験を孫に語って聞かせるタイプではなかった。だから自分にとって戦争とは知識の上にだけ存在するもので、どこか実感の伴わない、遠い存在だったと言える。

 近年、近隣諸国との間で歴史認識の問題や領土問題を発端として緊張が高まりつつある中、自分達は恐らく戦争というものについてあらためて学び直す事、考え直す事を求められているのではないかと思う。そんな中で、実際に戦争を体験した者の言葉を聞く事は重要だ。たとえそれが『脱走兵』の言葉であっても。

 本著はイラク戦争に従軍した元アメリカ陸軍上等兵、ジョシュア・キーの記録であり、その中の一部はイラクにおいて米軍が市民に対して行った非人道的行為に対する告発でもある。結果として彼は良心の呵責に耐え切れなくなり、一時帰国中に妻子を連れて軍から脱走する事になる。彼をそこまで追い詰めたものとは何か。そして彼が体験した戦争とはどんなものだったのか。その答えは本著の中にある。

“ぼくはアメリカ軍から脱走したことについて、絶対に謝罪しようとは思わない。ぼくは不正義から脱走したのであり、それは進むべき正しい道だった。
 謝罪すべきことがあるとすれば、ただひとつ、それはイラクの人びとに対する謝罪しかない。”

 2008年に刊行された本なので、現在のイラク、そして米軍が置かれている状況はまた変わっているのだろうと思う。しかし、敵の姿が見えない『対テロ戦争』という泥沼の中、一般市民とテロリストを区別する術もないまま戦う事を余儀なくされている兵士の困難さを語る上で、実際にその場にいた兵士の証言は貴重だ。

 勇敢な兵士や特殊部隊の活躍を描く作品は数多いが、本著で語られる戦争の姿はどこまでも救いがない。米兵達は深夜にイラク市民の家々を急襲する。扉を蹴破り、或いは爆発物を仕掛けて吹き飛ばし、突入して男達を拘束、連行する。連行される男達が本当にテロリストなのかどうかその場で確認する術はないし、彼等が最終的にどこの拘置施設に移送されるのか、そこではどんな尋問が行われるのか、現場の兵士達は何も知らされていない。そして次に米兵は民家を荒らし回る。家宅捜索だと言うが、多くの場合、テロ関与を証明する証拠は何も出て来ない。ドレッサーをひっくり返し、棚の中身を全て床にぶち撒け、家具を破壊し、ナイフでマットレスを引き裂き中身を確認しても、証拠は出て来ない。なぜなら多くの市民はテロリストとは無関係だからだ。それでも彼等は任務としてその不毛な行為を幾度となく繰り返す。次第に市民の間では横暴な米兵に対する反感が強まり、それがまた新たな敵意を育てる事になるのだが、その悪循環に気付きながらも、彼等は任務としてそれを繰り返すしかないのだ。米兵達も次第に疲弊し、神経をすり減らし、遂には略奪等の不法行為に走る者も出てくる。そしてそれを誰も止めようとしない……。自由と正義を掲げる軍隊のなれの果てがそこにはある。

 『戦争の大義』という言葉がある。個々の戦争について、そこに大義はあるのか、正当性はあるのか、そういう話はよく聞かれる。しかしながら、大義があろうが無かろうが戦争は起こり得るのであり、一度その渦中に身を置く事になれば全ての人間はその善性や良心をかなぐり捨てなければならない。敵に手心を加える余裕は無いからだ。だが、自分達が敵とみなしている相手は本当に敵なのか、その振り上げた拳を叩き付けるべき相手は本当に今目の前にいる相手なのか、それを考える事は必要だ。戦う前に。走り出してしまう前に。

 自分は自衛の為の戦いまで否定しようとは思わない。一方的に攻められれば、当然戦わなければならない局面もあるだろう。抵抗する力を持たないが為に蹂躙される事があってはならない。かかる火の粉は払わねばならない。しかしながら、例えば「国内に迫るテロの脅威と戦う為、テロ組織の本拠地を叩く為の海外派兵を行う事は自衛権の範疇だ」とか「他国に弾道ミサイルを撃たれてから撃ち落とす(或いは報復攻撃をする)のではなく、自国に向けられたミサイルへの燃料注入があった段階で先制攻撃でこれを叩く事は自衛権の範疇だ」という意見も一方ではある。ならば今自分達がしなければならないのは、安全保障上、自分達は何をどこまで行うべきなのか、何をどこまで行う事が許されるのか、そして有事にはどんな行動を取るべきなのかという枠組みについて真剣に話し合う事だ。そうしなければ、自分達が唱える正義や大義は瞬く間に不正義へと堕する事になるだろう。今はそう思う。

 

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