理想郷を目指す為の歩み アーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』

 

 何だか最近、以前書いた『オメラスから歩み去る人々』の感想をどこかのサイトで取り上げて頂いたらしく、こんなネットの辺境でやっているブログにも足を運んでくれる方がいるらしいと知った。ならば、という訳ではないけれど、『オメラスから歩み去る人々』が収録されている『風の十二方位』を読んだ方にはこちらもぜひ合わせて読んで頂きたいという事で、今回は『所有せざる人々』について。

 自分はSF小説が好きだ。まあ大学時代にこう言ったら、自分よりも遥かにSF読み歴が長いサークルの先輩に未読の多さを山程指摘されて「ああ、SF読み界隈では主要作品を全て読破してからでないと迂闊にSFが好きだなどと言ってはならないのだな」と思い知らされたのだけれど、それでも好きなものは仕方ない。相変わらず未読のままの作品が多いのは自分でもどうかとたまに思うけれど。
 やや話が逸れたが、自分がSFを好きな理由のひとつは、それが『此処ではない何処か』『今ではない何時か』を『想像し、創造し得る』物語であるからだと思う。

 ジョン・レノンの『イマジン』ではないけれど、想像してみる事は誰にとっても困難な事ではない。例えばこの地球ではないどこか遠くの星に到達した人類はそこでどんな暮らしをしているのだろうとか、遠い未来に国家や政治、宗教といったものはどんな形に変化しているのだろう、或いは変化しないのだろうか、とか。そんな取り留めもない想像は、読者である自分達も日常的にやっている事だと思う。ひとつの作品を読んだ時に、その延長線上で、或いはその裏側で、一体どんな人々が本編とは違う、各々の物語を紡いでいるのだろうと想像する事。或いは自分が作品世界の中に入り込んだとすればどうするのだろうという想像。それらは泡の様に浮かんでは消えて行く空想、或いは妄想に近いものだ。しかし作家と呼ばれる人々は、その想像する事を突き詰め、作品を創造する。作品を創造するという事はひとつの世界を--此処ではない何処かであり今ではない何時かである世界を--創造するという事だ。そしてその世界で生きる人々を創造するという事でもある。これは途方も無い事ではないだろうか。

 想像する、空想する、妄想する事は誰でも出来る事だ。しかし、そのままでは曖昧模糊とした、或いは荒唐無稽だったり支離滅裂だったりする物語の『種』を、ひとつの世界にまで育てる事。そこで生き暮らす人々を単なる空想上の人物ではなく、実際にこの世界で生きる自分達と同等の確固たる意思を持った存在として描く事。それらが成った時、自分達読者はその物語を通じて彼等の人生を追体験する事が出来る。そして自分ならその世界をどう生きるのか、翻って今この世界を自分達がどう生きるのかという事を考える事が出来るのだと思う。

 本作『所有せざる人々』に登場するシェヴェックは物理学者であり『オドー主義者』であり、ある意味ではアナーキストでもある。彼はどんな人間なのだろう。そもそも『オドー主義』とは何なのだろう。物語を読み進めて行くと、それが次第に分かってくる。
 本作の世界には二つの地球型惑星がある。ウラスとアナレス。ウラスは資本主義的な国家・政治体制を持つが、かつてそこで『オドー主義者』と呼ばれる無政府主義的な相互扶助社会の構築を目指した人々がいた。彼等はウラスを出てアナレスへと入植、開拓して暮らし始める。やがて月日は流れ、世代交代を重ね、現在両者の交流は定期貨物船の往来以外にはほぼ無い。最低限の経済的交流以外、文化的な交流も無い。ウラス人とアナレス人は、互いの住む星を月として空に見上げながら暮らしている。
 主人公であるシェヴェックは自らの研究を完成させる為、単身ウラスへと渡る事になる。異邦人である彼の目を通して二つの世界を見る時、自分達は自らが生きるこの世界のあり方、国家や政治だけではなく個人の価値観や生活様式といったもの全てを見つめ直す為の視座を得られる様に思う。

 自分達の暮らすこの世界がそうである様に、ウラスもアナレスもそれぞれが問題を抱えている。政治腐敗、貧富の格差、男女の性差に至るまで。どちらの社会も、理想と現実の間で軋んでいる。人々がよりよく生きる為に、彼等はそれぞれが違う道を歩み、努力して来た。自分達もまたそうである様に。それでもなお、理想郷の実現は遥か彼方だ。

 自分達は、特に自分の様な凡人は、自分の人生を生きるだけで手一杯だ。それは言い換えれば既に誰かが作り上げた国家・政治体制の中で、また経済の中で、いかに自分の側がそれに順応して生きて行くかを考えてしまいがちだという事でもある。社会に様々な問題がある事を知りつつ、それには手を触れずに、いかに上手く世渡りをして行くか。個人の幸福追求の為の手段として、それはやむを得ない部分があるだろう。でも本当にそれで良いのか、このまま足踏みをしていて良いのかという視点がここにはある。

 社会全体の構造にどこか問題があるのなら、それを自体を改革しなければ本当の意味での問題解決にはならない。思い描く理想像があるのなら、そこへ向かって歩き出さなければ決して近付く事は出来ないのだから。『オメラスから歩み去る人々』でも描かれた様に、自分達はそれぞれがただひとりで歩き出さなければならないのかもしれない。今自分達が当たり前のものとして暮らしている場所から歩き出し、門を潜り抜け、この街を出て『此処ではない何処か』を目指さなければならないのかもしれない。いや、その前に、自分達は目指すべき場所を、理想を、幸福とは何かを見付け出さなければならないのだろう。きっと。

 

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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