互いの居場所である為に・杉井光『神様のメモ帳』

 

 以前書いた『終わる世界のアルバム』の感想に対するコメントの中でお薦めを頂いたので読んでみた。2007年に刊行された作品であるし、アニメ化もされた作品だという事なので、今回はネタバレについて配慮せずに感想を書こうと思う。もしもこれから本作を手に取ってみようとしている方がいるなら、これから先はその点をご了承頂きたい。

 さて、『ニート探偵』なる少女が登場したり、主人公の少年を取り巻く人々がことごとく『一芸に秀でたニート』だったりする本作ではあるが、作中で『ニート』と呼ばれる人々は現実の社会問題の中でニートと定義される人々とは若干異なるカテゴリに属するのではないかと思う。まあパチプロやヒモや中退前提で大学生活を満喫するミリオタや、義務教育を完全にすっ飛ばしている割には頭脳明晰な引きこもり少女がニート以外の何なのかと言われると説明に窮するのだけれど、自分はこう思うのだ。「ああ、この人達は生きる事が不器用なのだろうな」と。自分もあまり器用な方ではないが。

 最近では『コミュ障』などという、あまりありがたくない言葉も広まっているが、他の大多数の人々が当たり前の様にやっている事が苦痛だったり、それに意味を見いだせなかったり、周囲に馴染めなかったりする人は確実にいる。また普段は周囲に合わせていても、ふとした時に我に返って自問自答してしまう様な経験は誰にでもあると思う。10代の葛藤、20代の焦燥、30代の諦観。個人が抱えているそれぞれの物語の中で、皆何とか折り合いを付けて生きている。そして、周囲から見れば些細な事がきっかけとなって、世間一般が定義する『普通』の範疇から外れる者もいる。普通って何だっけ。何の為に自分は生きてるんだっけ。そんな事を考え始める。

 作中で、ある薬物中毒の登場人物は「だから、俺らはA10経を刺激するために生きてるんだよ。わかる?」とうそぶく。努力して結果を出した時、人から褒められた時、欲しい物を買った時、脳内で分泌される伝達物質が幸福感をもたらす。ならば薬でいいじゃないか。努力の末に獲得するものも、ストレスを乗り越えて掴むものも、ドラッグで分泌された伝達物質がもたらすものも同じなら、薬でいいじゃないかと。それはある種の人々にとっては真実かもしれない。昨今脱法ドラッグ、今は危険ドラッグと言う様になったけれど、そういったものを吸飲した事による交通事故が相次いで報道された様に。需要と供給。手っ取り早く多幸感を得たい者にとっての真実。まあその先にあるのは破滅かもしれないけれど。

 何の為に生きているのか。どうやって生きて行くのか。そんな問いの答えは、結局自分で探すしかない。他の誰かが与えてくれた答えを鵜呑みにする事は出来るだろうけれど、それを飲み込んで生きて行くかどうかを決めるのは結局自分自身だ。何が生きる上での『たったひとつの冴えたやりかた』なのか。自分以外にそれを決められる者はいない。だから、もし仮にニートという生き方を選択するのなら、そしてその結果責任を全て負うという前提を受け入れるのなら、それもいいだろう。ただ、どんな生き方を選択するにせよ、人が生きて行く為には『居場所』が必要なのだろうな、とも思う。

 本作でニート探偵の仲間達が集う場所がある様に、自分達の存在を受け入れてくれる場所があり、迎えてくれる人がいるという事。それは自分達が生きて行く上で割と重要なポイントだ。『居場所』がある事。そして可能なら、自分も誰かにとっての居場所になる事。それが出来れば上等だと思う。

 それはもたれ合いなのかもしれない。傷の舐め合いなのかもしれない。でも、どうしようもなく続いて行く毎日を乗り越えて行く為には、生きて行く為には、そういう事も必要なのだろうと思う。自分達は、神様のメモ帳の自分のページに何が書かれているかなんて知りようがないし、知った事じゃないから。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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No title

また、本の話をしにきました。

と、それよりも前に、前回からのコメントに間が空いてしまってほんとうに申し訳ありません。
今月、洒落にならないくらい仕事が忙しくて…

まさか本当に読んでいただけるとは思っていなかったので、ブログを読んでいて驚きました。
自分で薦めておいて何じゃそりゃ。
購読&感想、ありがとうございました(平伏)

さて、「ニート」という言葉の意味と、社会の実態について思うところは人それぞれでしょうが、
ぼくは結構肯定している人間寄りなのかな、と思います。
「働いたら負け」という言葉と働かない存在を示す「ニート」の結びつきが強固なのはニートという言葉が日本に定着して以来ずっと語り継がれてきたからで、今更どう足掻いたところで社会の落伍者という烙印は消せないのかもしれませんが、少なくとも、働きたくないと思うのはニートだけに限った話ではないはずです。
無理をして働いている人間ほど、魂の開放を渇望していたりします。
無理をし過ぎて壊れてしまった人間も身近にいますし、中には自殺してしまった人もいます。
ぼく自身もよく真面目すぎると言われ、社会に出てからも適度に不真面目になるということをあまり学習しなかったために、損をしたことがたくさんありました。

実りの少ない仕事ではありますが、それでも仲間はできました。
「居場所」という言葉と置き換えてもいいかもしれません。
協調することが昔から苦手な人間なので、必然的に友達の数も少ないのですが、それでも確かにぼくの大事な「居場所」です。

逆に居場所がないと悲観している人間ほど、悲しい存在はいません。「私が思うのに、この世で一番大きな苦しみは、一人ぼっちで、誰からも必要とされず、愛されていない人々の苦しみです」というマザー・テレサの格言はもっとも残酷な真理のひとつで、誰からも必要とされないまま生きる生活には、絶望しかないのでしょう。

ようやく本題に戻りますが、本作のように、不器用でも、誰かを許し、受け入れ、認め合う人間が傍に居るということ。それさえあれば、人ってさほど悲観しないで生きていけるんだっていうことを、本作は教えてくれます。今月発売した9巻で本作は完結と相成りましたが、ぼくは『神様のメモ帳』という作品を通して、不器用でも生きていく勇気を少しだけもらえた気がしました。

>タウロニオさん

お久し振りです。
そう、読みましたよ本作。自分は読書傾向が偏っているので、本のお薦めを頂くと結構な割合で手を出すかと思います。自分の好みというものも結構固まっているので、普通に生活しているとそれ以外の作品を読む機会があまり無いんですよね。そういう意味では新しい刺激になって非常に助かります。

さて、有名なアニメで『逃げちゃ駄目だ』っていう台詞がありましたが、本当に追い込まれている人にとってこの台詞はちょっと酷かなと思うのです。本当に逃げちゃ駄目な場面というのも長い人生の中にはあるかと思いますが、どこにも逃げ場がなくて、居場所も無くて、自ら命を断つしかない所まで追い込まれてしまう人の話を聞くとやりきれない気持ちになります。

本当は「逃げてもいい」のだと思います。自ら命を断つ決断をしてしまう前に、一度その状況から逃げて、弱音を吐いてみる事は必要です。必要ならしばらく仕事を離れてニート生活を送ってみるのもいいかもしれません。その後で立ち直る為の充電期間だと思えば。

真面目な人は周囲を気遣うあまり、問題を自分の中に抱え込んでしまう事がままあります。こういう事を言うと問題かもしれませんが、所詮人間が自分一人で解決出来る問題には限度というものがあります。もちろん自分にも誰かが抱えた大きな問題を解決出来る程の力は無いかもしれませんが、一緒に頭を抱える事くらいはさせて欲しいと思うのです。そして2人でも解決出来ない問題ならば、3人目を呼べばいい。人間同士の繋がりというのは意外と頼りになるものです。自分自身も周囲の人に恵まれて何とかここまでやって来た様なものですから。

「人の為に何が出来るか」とか「誰かの居場所になってあげられるかどうか」と身構えてしまうと何か大事の様ですが、一緒に話す場を持つ事とか、何かあった時に話を聞いてあげる事とか、そんな事でいい気がするんですよね。そんな些細な事が誰かの居場所を作り、自分の居場所にもなる。今はそんな気がしています。
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黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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