八百万の神と共に・汀こるもの『レベル98少女の傾向と対策』

 

 前作『ただし少女はレベル99』から続く、出屋敷市子とその護法達の物語。前作から微妙に1レベル下がったのは何を意味するのか。作者のコメントによれば『「レベル99」は「99以上である可能性」を秘めていました。が、「レベル98」は「98」です。それ以上でも以下でもありません。』との事。既刊一覧には『レベル99シリーズ』とあるけれど、続刊が出る毎にレベルは下がって行くのか、はたまたレベル100を超えるのか。まあ、そんな瑣末な事を気にしなくても本作は楽しめるので問題は無いと思う。

 出屋敷市子の護法達をはじめとして、妖怪や神々が多数登場する本シリーズだが、日本には『八百万の神』という言葉が指し示す通り、本当に多くの神々が存在する。一神教が広く信仰されている国で生まれ育った方々に対して、この日本的な宗教観や価値観を説明するのは難しい。日本語で言うところの『神』や『仏』が『God』と同じではない事を説明するにも骨が折れるだろうなと思う。以前『妖怪』の英語訳として『Ghost』とか『Monster』といった言葉が使われているのを見た事があるが、妖怪=モンスターかと言われると首を傾げてしまう。まあ見た目は怪物っぽいのもいるけれど。

 日本では、人は死ねば仏になり、またある者は神社に祀られて神となる。動物であっても、例えば歳を経た猫は猫又になるし、古道具といったものですらやがて付喪神となる。最早あっちを向いてもこっちを向いても神や仏、妖怪のオンパレードという感じだが、自分はそれを「節操が無い」とは思わない。むしろあらゆるものに対して畏敬の念や、感謝の気持ちを持って生きて来た日本人らしい感性がそこに現れている様に思う。

 農民は五穀豊穣を祈願する。豊かな実りを得る為には、日の光も必要だし雨も必要だ。日照りが続いても長雨が続いても作物は不作となるから、人はそれぞれの神を祀り、敬い、恐れる。そして得られた実りをまた神に捧げ、感謝する。その謙虚さは、あらゆるものに神の存在を見出し、敬う事に繋がって行く。

 以前何かの時に書いたかもしれないけれど、日本人はオリンピックやワールドカップ等の国際的なスポーツイベントがある度に『サムライジャパン』とか言って武士や侍の精神を語る事が好きだ。でも自分が思うに、基本的に大多数の日本人は農民や漁民だったのであり、サムライ精神だ武士道だと言っても、自分達にどれ程サムライの血筋が受け継がれているのかというと怪しい様な気がする。「いや、自分は確かに戦国大名から続く武士の家柄の何代目である」と家系図を広げる方もいらしゃるだろうが、自分は『サムライジャパン』があるなら『農民ジャパン』があってもいいじゃないかと思う程度には天邪鬼だったりする。言葉の響きとして勇ましくはないし、格好良さに欠ける事は否めないが、実は自分達の日々の暮らしを支えているのはサムライ精神よりもむしろこの農民的謙虚さや粘り強さなのではないかと思うのだ。そして八百万の神という考え方や、様々な妖怪を生み出して来た精神性は、その農民的価値観と通底している様に思う。

 聞く所によると、最近は『妖怪ウォッチ』のヒット等の影響もあって、ちょっとした妖怪ブームが再燃しているせいか「大人が子供を叱ると、子供が妖怪のせいにして言い訳をする」事があって困るのだという。確かになんでもかんでも妖怪のせいにして居直られたのでは親はたまったものではないだろうが、あまり妖怪に濡れ衣を着せてばかりいると、それを快く思わない本当の妖怪が出て来るかもしれないぞ、と言い聞かせるのはどうだろう。具体的にはタブレットPCを小脇に抱えた高尾山の天狗とか。いや、それだったらむしろ自分は歓迎するところだけれど。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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