冴えない僕らなりのやり方で・入間人間『虹色エイリアン』

 

 最近、遅ればせながら、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの『たったひとつの冴えたやりかた』を読んだ。そして、その後すぐに手に取ったのは本作『虹色エイリアン』である。狙ってそうした訳ではないが、この取り合わせは個人的に面白かった。

 『たったひとつの冴えたやりかた』は非常に高い評価を受けている名作であり、自分が今更ここでその内容を語る必要も特に無いと思うのだが、SF愛好家の方々からお叱りを受ける事を承知で「どちらがより自分に馴染むか」で語らせてもらえるなら、自分は『虹色エイリアン』を推す。それは『虹色エイリアン』の登場人物達が実に『冴えない』からだと思う。

 自分は『たったひとつの冴えたやりかた』の主人公、コーティーの様にはなれないだろうと思う。昔も、今も。その事を恥じるでも悔やむでもないが、『宇宙飛行士になれなかった子供』である自分は、自分の宇宙船で未知の世界へ旅立つコーティーの勇気や機知を眩しく思うと同時に、『虹色エイリアン』の登場人物達の冴えない日常に深く感情移入する。どちらがより自分に近いのかは言うまでもない。

 自分の日常もまた、冴えないものだ。小さな事で思い悩んだり、考えた末の行動が裏目に出たり、仕事や人間関係が上手く行かなかったり、つまらないトラブルに巻き込まれたり、そんな事ばかりをこれまで何とかやり過ごしてきた気がする。その日々の積み重ねはある意味無様で、不器用で、非効率で、非生産的ですらある。正直「目も当てられない」とはこういう事を言うのかもしれないとすら思うが、それでも、日々は続く。きっとこの先一生宇宙に飛び立つ事も無く、この星の上で生きて行くのであろう自分にとっては、その冴えない日々、冴えない自分こそが全てだ。それらを振り切って宇宙に飛び出す力は、自分には無い。残念ながら。

 しかしながら、その事を恥じて、下を向いていても仕方が無い。冴えないやり方でも、間違っていたとしても、自分はこれから先も自分の頭で考え、自分の足で前へと進んで行かなければならないのだから。生きて行かねばならないのだから。『虹色エイリアン』は、そうした不器用な、冴えない人間達が何とか前へ進んで行こうとする姿を描く。

“自分の限界は思ったよりずっと手前にあった。そこからどれだけ身体を伸ばしても、空にも、向こう岸にも届かない。私はいつだって、空にかかっていた美しいものを眺めるのが精一杯の、そんな立場の人間だった。だから私にできることなんてきっとなく、祈るなんて無意味なことにしか時間を費やせない。そんな自分に嫌気が差しそうになりながら、それでも。”

 『私はいつだって、空にかかっていた美しいものを眺めるのが精一杯の、そんな立場の人間だった。』この一文を読んだ時、不覚にも涙しそうになって自分に慌てた。そして落ち着いてから、「そうだよな」と独りごちた。自分もそういう人間だったし、これからもきっとそうなのだろうと思うから。

 小さい頃、宇宙に行ってみたかった。今でも死ぬ前に一度は行ってみたいと思っている。でも自分はそう思っているだけで、夜空を見上げているだけで、それが精一杯の人間なのだろう。宇宙飛行士になれなかった子供は、コーティーの様に生きられない自分は、きっとそこまでの人間でしかなく、伸ばした手は宇宙の高みには届かないのだろう。そんな自分に嫌気が差しそうになりながら、それでも。

 それでも、冴えない自分なりのやり方で、生きて行くのだろうと思う。

 これまでもそうだった様に、これからも。今の自分に言えるのは、それだけだ。

  

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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