模倣であるが故の本気・成田良悟『Fate/strange Fake 1』

 

 絵画の『模写』の様に、彫刻にも『模刻』というものがある。
 今でこそ3Dプリンター等もあり、元となる3Dデータさえあれば立体物を複製する事も容易になったと言えるが、機械に頼らず人力でやろうとすれば、模写にしろ模刻にしろ、コピーをとる様にボタンひとつでお手軽に出来るものではない。

 なぜこんな話から入るかというと、自分の友人に本気で模刻に取り組んだ人物がおり、自分はそれを傍から見ていて、模刻の難しさを嫌というほど思い知らされたからだ。
 手本となる造形物を観察し、それを自らの手で再現する。言葉にするとそれだけの事なのだが、これがやってみると、一筋縄では行かない。

 まず観察だが、手本となる立体物が持つ質量、量感といったものと、それを覆う面の構成には全て意味がある。「そんな事は当たり前だ」と言われるかもしれないが、「なぜ手本となる造形物がこんなに魅力的なのか」という事を知る上では、手本をあらゆる角度から徹底的に観察し、その量と面の構成が持つ意味を把握しなければならない。そして当然、模刻をする上では、自らの手で手本を再現して行かなければならない。
 手本となる造形物、言い換えればオリジナルの本質を知らなければ、優れた模刻は出来ない。この事を踏まえて、敢えて『Fake』の名を冠する本作について語ってみる。

 ……とまあ、硬い感じの書き出しで入ってみたけれど、要はオリジナル大好き人間が本気出して「このカッケー奴、俺もやりてぇ」と思って手を動かし始めたら、他人が何と言おうが本人が納得するまで止める手段は無いという、ただそれだけのシンプルな話なのだった。自分も、その友人も、一時期本気出して手を動かしていたから分かる。そして、一度手を動かし始めたら最後、その「惚れた責任」は自分が負うしかない。登山に例えれば、山の頂上を目指して登り始めたら、思いのほか道が険しくて進退窮まる、なんていう事があるかもしれないが、それでも結局は自分の足で歩くしかないのだった。いや、本当に成田氏には最期まで踏破して欲しいものだ。

 本作のオリジナルである『Fate』について今更言及する事はしない。ネタ的には、歴史上の偉人や神話の神々が入り乱れて戦う『スーパーロボット大戦』なのだが、聖杯戦争という命懸けのゲームの基本ルールは絶妙のバランスで組まれていて、「自分だったらこうしてやる」的な想像、或いは妄想をする上ではとても楽しいのだろう。ここにこうして、その魅力に取り憑かれたプロ作家もいることだし。しかしこういう『お遊び(本気の)』が同人ではなく、商業で出せる時代になったというのは感慨深い。しかも電撃文庫から。

 でも、成田氏も某菌糸類氏も、あんまりFateの設定で遊んでばかりいると「止まってるシリーズの続刊は?」「完全新作はまだなんですかね?」と言われますよ、と一応釘を差してみる。何だか手応えが糠っぽいけど。

 

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