日本は平和を語るに値しない

 日本は平和国家だという事になっている。日本国憲法第九条に集約されたその理念は、確かに尊いと思う。しかし、この国は本当に平和国家を名乗るに値する国か。平和について語るに値する国だと胸を張れるか。

 友人のサイトでこんなニュースを見た。

 ZAKZAK『路上のケンカで大学生を刺した“平和愛好家”の正体』

 <関連項目>

 Wikipedia『中井多賀宏』

 同じニュースは朝日と産経のニュースサイトでも取り上げられていたが、容疑者が九条改正に反対する活動を行っていた事にまで言及していたのはZAKZAKだけだった。

 九条を守ろうという活動自体について、賛成か反対かといった個人的主張はひとまず脇に置く。問題なのは、この日本で平和を語る人、戦争を語る人が、いずれも無邪気にそれらについて語りながら、その実生活では全く主張に反する事をやって平然としていられるという事にある。『憲法九条を守る活動』や『無防備地域宣言運動』を推進していながら、護身用にナイフを持ち歩く事に対しては平然としていられるというのは、一体どの様な論理によるのか。そして結局はその武器も自衛の為ではなく相手を攻撃する為に使われた訳だが、これはどういう事なのか。まあ自分は中井氏本人ではないから判らないけれど。

 意識が低いとか不真面目だとか不勉強だとか、そういう次元の問題ではない気がする。何か根幹となる部分が壊れている。

 多分日本人にとって、既に戦争も平和も単に言葉の上だけの知識に過ぎない。
 本当なら、平和について真面目に考えるという事は、戦争について真面目に考えるという事だ。もちろん、『あの悲惨な戦争を忘れず、後世に語り継ごう』という事は重要だが、それだけが戦争について真面目に考えるという事ではない。それだけでは不十分だ。

 戦争とは何か。何故人は戦争という手段を行使するのか。戦争に勝つとは、負けるとはどういう事か。戦争に負けたのは何が原因か。戦争に勝つ為にはどうすべきか。戦争を回避するにはどうすればよいか。戦争に対する備えとして何が必要か。或いはもっと細かいテーマとして、自衛隊は本当に戦争に耐え得る組織か。その為の権限と人材、装備が彼等に与えられているか。それらを整理し、分析し、本質的に戦争とは何かという事を徹底的に考える事、それが戦争について真面目に考えるという事であって、要するに戦後日本はそれをサボってきた。その結果、対極にある平和というものについても判らなくなった。

 例えば自衛隊を海外派遣するという時になって、『戦闘地域』『非戦闘地域』という言葉が問題になった事がある。こんな事を大真面目に議論している時点で、日本がどれだけ戦争を真面目に考える事をサボってきたか、日本がどれだけ戦争や平和について語るに値しない国になってしまったかが判る。そこにあるのは戦争や平和について語る為の表層的な言葉だけで、内実がない。

 そういう内実の伴わないものを言葉遊びの様に操って、改憲だ護憲だと争ってみても、今回の事件の様に何らかのきっかけがあれば容易くそのメッキは剥がれ、地金を晒す事になる。

 数々の著作を発表し、熱心に護憲を訴えていた人物でさえこの程度だったのかと思うと暗澹たる気持ちになるが、多分これは彼の個人的気質の問題というよりも、戦争と平和について何ら真剣に考える事をしてこなかった日本人全体が、辿り着くべくして辿り着いた末路という奴なんだろう。

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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