繰り返される、犬達の物語・押井守『GARM WARS 白銀の審問艦』

 

 またしても、犬の話である。

 押井守氏と『ガルム戦記』との因縁をここで再び語る事はしない。本作を語る上で必要な言葉は、先に書いた通り『犬の話』であるという事だけだと思う。

 本作がどんな作品であるかを語る際に、「『攻殻機動隊』『イノセンス』『アヴァロン』『スカイ・クロラ』そして『紅い眼鏡』に始まる『ケルベロス・サーガ』を全て鍋の中に放り込み、そのエッセンスを抽出した作品」と言えなくもないが、それは言い換えれば「いつもの押井守作品である」という事であり、押井守ファンも認めるであろう「面白いと感じる人には面白いが、そう感じない人には何の事やらさっぱり分からない」という、難儀な作品だという事だ。

 映画にせよ小説にせよ、押井作品を高く評価する人には「凡俗には分からないだろうが、自分には押井作品の良さがわかるのだ」的な「違いが分かるアピール」をする方がいる訳だが、至って凡俗な自分から言わせてもらえばそれは単に趣味嗜好が合うか合わないかの話であり、もっと言わせてもらえば、それは「繰り返される『犬の話』に共感できるか否か」という事である。例えば、主人を喪った犬の姿を、自分の姿と重ね合わせる事が出来るか否か。そこが評価の分かれ目だと自分は思っている。

 本作の登場人物達もまた、その全てが主人を喪った犬として描かれている。彼等を生み出した創造主は世界から去り、残されたガルム八部族は部族間戦争によって覇権を争っていた。しかしその雌雄が決する前に『セル』と呼ばれる正体不明の脅威が飛来する様になり、以降ガルム達はセルとの終わりなき戦争に突入する事になる。生殖能力を持たないガルム達は、その記憶と経験をクローン体に引き継がせる事によって世代を重ねて行くが、繰り返される死と復活、死を恐れない兵士達、そして終わらない戦争は『アヴァロン』や『スカイ・クロラ』のそれを彷彿とさせる。ガルム達もまた「自分達は何の為に、何と戦っているのか」という答えの出ない問いを繰り返す。繰り返される記憶転写の中で彼等の歴史は失われ、創造主を喪ったガルム達は自らの存在意義を見失いつつある。

 一神教的な世界観に立って現実を見るならば、創造主を喪って彷徨うガルム達の姿は、そのまま自分達の姿に当てはまる。創造主を喪った人間=主人を喪った犬という見立てで本作を読む時、その犬の姿に自らを重ね合わせる事が出来るならば、毎回押井作品に漂っているある種の寂寥感が腑に落ちるのではないだろうか。

 主人を喪った野良犬が、雨に濡れながらその主人の姿を探し求めている。本作を読む間、繰り返し目に浮かぶのはそんな情景だ。そして自分もまた、彼と同じ雨の下に佇んでいるのかもしれない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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