村上龍『半島を出よ』

 昨日の記事で、『日本は平和を語るに値しない』と書いた。何故なら日本は戦争について真面目に考える事をサボって来たからだと。

 では、戦争というものを真面目に考えるとはどういう事か。その指針となる作品がここにある。

 『半島を出よ』が描くのは2011年の日本だ。その架空の世界では、日本は経済、外交等の様々な分野でかつての力を失い、疲弊している。その日本に対して北朝鮮が仕掛けた『戦争』が物語の中心になっている。

 この作品については色々な意見がある。リアルだと言う人もいれば、荒唐無稽だと言う人もいる。北朝鮮という国についても不明な点が多く、この小説に描かれている様な姿が実際の北朝鮮にどの程度肉薄しているかもはっきりとした事は言えない。

 ただ、自分はこの小説が描く日本像はかなり正確なのではないかと思う。
 例えば物語の冒頭で北朝鮮の特殊部隊は9名という少人数でプロ野球開幕戦が行われている福岡ドームを占拠する。しかし、彼等と比較して圧倒的大多数である筈の観客や警備員、周辺の警察官は何も出来ずに状況を受け入れるしかない。内閣危機管理センターは有効に機能せず、何の意思決定もされない内に状況はみるみる悪化する。

 自分は、日本の警察官や自衛隊員は非常に有能なのではないかと思っている。少なくとも無能ではないし、士気も高いと思う。しかし、いざ事が起こった時にどう対処するか命令を下さなければならない立場である政治家や閣僚、そして何より国民の中に、危機に対処する為の意識や方法論が決定的に欠如している。だから戦えない。戦うという事がどういう事か知識としては理解していても、現実に戦う事になる場合を全く想定していないし、覚悟していない。だから力はあってもそれを行使する事が出来ない。もっと言えば、そもそも『戦う』という選択肢を選べない。

 この物語で北朝鮮の特殊部隊と戦う事を選べたのは、社会のはみ出し者として生きて来た無名の若者達だけだった。この、『社会から阻害された少数派だけが現実に戦うという事を知る』という構図は、翻って大多数の国民が戦う事、つまり戦争について無知であり、その事にも無自覚なままでのんべんだらりと生きて来たのだという事を突き付ける。

 逆に考えれば、それだけ日本は平和だったのだとも言える。それはいい事だし、自分もその恩恵に与かっている。でもこれから先ずっとこのままラッキーな状態が続くとも限らないし、何より『自ら努力する事無く得られた平和』は人間を堕落させる。平和憲法を守ろうと言いながら平然と護身用にナイフを持ち歩く人間を誰が作ったのかといえば、それは間違いなくこの国が作ったんだよ。その安易な考えには辟易するけれど、それは極端な例として彼の様な人間がいたという事であって、自分の中にだってそういう『無自覚な安易さ』は間違いなくある。だから日本人に欠けている要素がもしあるならば、それは『平和について考えるのと同じ位戦争について考える』という事であって、脊髄反射的に戦争を忌避する前に、戦争についてもっと真面目に考えるという事、つまり『自分達の生活の延長線上に戦争を置いて考える』という事だと思う。

 戦争を身近に置く事が出来るか。戦うという事に向き合えるか。そこに血肉を通わせる事が出来るか。その事が問われているのだと思う。

 

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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