意味が分からないという面白さ・木下古栗『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』

 

 電子書籍のセールを眺めていた時、この題名に妙に惹かれてしまい、つい衝動買いしてしまった。『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』って何だか妙に語感が良い気がする。これが単に『金を払うから殴らせてくれないか?』だとちょっと普通過ぎて弱い。違いは『素手で』の一言だけなのにね。

 本著は木下古栗氏の小説集であり、表題作『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』以外に『IT業界 心の闇』『Tシャツ』の2作が収録されている。どれもあらすじを紹介するのに難儀する作品で、正直どう感想を書いたものか途方に暮れるのだけれど、例えて言うなら、自分には全く理解できない前衛芸術家の絵画なり彫刻なりを前にして「果たして今自分がこの作品に見出しているイメージは作者が意図したそれなのだろうか」と首を傾げたくなる時の感覚が一番近いかもしれない。青一色で塗り潰されたキャンバスは空なのか、海なのか、はたまた全く別のものなのか。その絵が『無題』であり、作者が黙して語らなければ、『正解』は誰も知り得ない。作品を見る者がああだこうだと好き勝手に解釈し、作者や作品について語る姿を見て、作者本人が「いや、そうじゃないんだけどなあ」と思っていたとしてもだ。

 正直に言っておくと、本作で作者が何を言わんとしているのか、何を意図してこうした物語を書いたのか、自分にはさっぱり分からない。表題作『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』では、会社を無断欠勤し、失踪したという米原正和を、当の米原正和本人が同僚を引き連れて探しに行くという奇妙な物語が展開される。しかも、米原正和を探しに行くのだという米原正和の事を、周囲の人間は誰も奇異に思わない。腑に落ちないまま読み進めて行くうちに、これはクローンだとかドッペルゲンガーだとか、そういうありきたりな設定が入り込む余地は無く、「失踪した米原正和を探す米原正和こそが、失踪した米原正和当人であるに違いない」という事が確定的になって行く。自分で自分を探す訳だから、当然いつまで経っても失踪した米原正和を捕まえる事は出来ない。ではこの物語はどんな結末を迎えるのか、という所で、作者が意図的にこれでもかと迷走させる物語を、読者は追いかけ続ける羽目になる。そして奇妙な事に、それが不快かというと、そんな事もないのだ。

 作品のテーマとか、物語の起承転結といったものを、本作は気にも留めない。あらすじを書かれる事、解説される事を拒否するかの様に、物語は作者の手によっていかようにも変化して行き、作者が「ここで終わり」と区切った場所で突然結末を迎える。読者の目から見て、それがどんなに唐突に見えようとも。正直、「このオチはアリなのか」と思う部分も無くはないが、作者にとってはアリなのだろう。

 「何だか意味が分からないし、正直さっぱり理解不能だが、妙に読ませる」という、不思議な読後感。何だか狐につままれた様だが、「意味が分からない」という事と「面白い」という事は意外と共存出来るものなのだなと思った。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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