白から遠く離れた混色として・河野裕『その白さえ嘘だとしても』

 

 前作『いなくなれ、群青』から始まった階段島シリーズの二作目。発売日に買っていたのだけれど読むのが遅れてしまった。いや、遅れてしまったというよりも、『いなくなれ、群青』が好き過ぎて続編を読む事をためらってしまった。こういう事は稀にある。お気に入りの作品のイメージが続編を読む事で変わってしまう事を危惧するあまり、尻込みしてしまうというか。まあ、読み終えた今となってはそれも杞憂だったのだけれど。

 前回、江波光則氏の『我もまたアルカディアにあり』の感想を書いた。その中で自分は江波氏について『鋭さを持つ作家だ』と書いた。その鋭さとは、「攻撃的である」とか「排他的である」という意味ではない。氏の言葉はまるで刃物の様に研ぎ澄まされている。そして氏はその鋭い表現によって現実問題に切り込み、病巣が自分達の目に見える様に解体し、時に摘出してみせる。そういう意味で、江波氏の言葉や表現は研磨されている。よく研がれた刃物の様に。

 河野裕氏の言葉は、江波光則氏の言葉とは違う意味で研磨されている。
 一見、そこに突き刺さる様な鋭さや、対象を切り裂く刃は無い様に見える。しかし、その鏡面の様に磨かれた言葉は、読者の心の深い部分にまで届く。硬い表層を貫いて、柔らかい内側にまで浸徹する。ある意味で、両者は同じ様に自らの言葉を、表現を研磨し、研ぎ澄ませている。対象に深く切り込む為に。或いは、読者の内奥にその言葉を届ける為に。

 雑な言葉では表せないものがある。雑な表現では届かない場所がある。読者としても、そうした雑なものから目を逸らす事は簡単だ。それは無視出来る。視界の外に追いやれる。ただ、磨かれた言葉や表現は、それを許さない。それは自分の内面に深々と突き刺さってくるものだから。

 『その白さえ嘘だとしても』を読み終えて思うのは、今の自分がどれだけ『白』から遠ざかって生きているのかという事だった。なりそこないの白。あらゆる混色が決して手に入れる事が出来ない白さ。潔癖さ。そうしたものに憧れていた頃が自分にもあったのだろうと思う。夢があったし、理想とする自分像があった。それらは願えば叶うのだと思っていた。しかし自分はある時から、『諦める』という事を覚えた。そうしないと生きて行く事が辛かったからだ。

 学校では教師が「夢を持て」と教えてくれる。しかし、もしかするとその夢は叶わないかもしれないという事や、夢破れたとしても人生は続いて行くのだという事、追い続けた夢を諦めねばならない時、捨てなければならない時にどうすればよいかという事は教えてくれない。そもそも、それは他人が教えられるものでもなければ、決められるものでもないからだ。自分で向き合うしかない。自分で見届けるしかない。自分で決めるしかない。他の誰も、代わってはくれない。

 自分は仕事上、求人に応募して来た人物の履歴書を見る機会がこれまで何度もあった。匿名であっても個人情報を無断で開示する訳には行かないから、以下に記す事は脚色しておく。ただ、概ね似た様な内容の事実があったと思ってもらって構わない。

 専門学校を卒業後、バンド活動をしていたという人物の履歴書を見た。履歴書や職務経歴書という奴は残酷なもので、人間の人生をたかだかA4かB5サイズの用紙数枚に要約してしまう。その無味乾燥な『彼の履歴』に目を通して行くと、数年間バンド活動を続けたものの、プロへの道は開けず、その後は派遣社員として職場を点々としながら収入を得る為に努力して来たのであろう姿が伺えた。他にも楽器店で接客業をしたが短期で辞めているとか、所属する派遣会社自体を1、2年の間に何度も変えているといった、あまり雇用主に好まれそうもない情報が箇条書きにされている。そして、そんな中でも趣味・特技の欄に『作詞、作曲、演奏』と書かれているのが悲しかった。別に彼を憐れむのではない。全ての努力が報われるとは限らない『当たり前の世界』が悲しかった。ほとんどの人が理想には届かないこの世界の狭量さが悔しかった。

 自分はその履歴書を見ながら「彼はいつプロになる夢を諦めたのだろう」と思う。
 自分もまたそうした様に、彼もまた自分の中の大切な何かを諦め、切り捨てる事で前に進もうとしたのに違いなかった。履歴書には載らない行間に、彼の本当の苦悩がある筈だった。しかし採用担当者にとって、それを想像する事に意味は無い。担当者が気にするのは、彼が自分の都合で会社を休んだりせず、不平不満を言わず、会社の指示を聞いて、支払われる給与に見合った労働力を提供してくれるかどうかという事だけだ。

 自分は思う。この狭量な世界のどこかに、階段島の様な場所が本当にあって、そこでは夢と一緒に捨てられたあの日の自分達が夢の続きを追い求めていてくれるのなら、どんなに良いだろうと。自分達はそれを弱さだとして、欠点だとして切り捨てた。夢を捨てる事で、現実に根を下ろして生きて行く事を選んだ。でも、捨ててしまったものの中に、本当は大切な何かが紛れ込んでいたなんていう事はよくある話で、大抵そういう奴は、捨ててしまってから気付くのだ。もう取り戻せなくなってから、気付くのだ。

 自分に捨てられた自分は、その島でどう生きるのだろうと空想してみる。欠点を抱えて、なれもしない白に憧れて、混色の自分はどう生きるのだろうと考えてみる。そして、そんな自分から、今の自分はどんな色に見えるのだろうと想像する。きっとその色は白からは程遠くて、だからこそ自分は、この物語が好きなのだろうと思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon