フィクションが伝える戦争の現実 フィル・クレイ:著 上岡伸雄:訳『一時帰還』

 

 広島、長崎、それぞれの『原爆の日』を通して、自分が読んでいたのは本著だった。著者のフィル・クレイ氏は2005年に米海兵隊に入隊。2007年1月から2008年2月までイラクのアンバール県で広報担当として勤務した。氏は帰国、除隊後にハンター大学の創作科で修士号を取得し、本作でデビューした。

 帰還兵が自らの戦争体験を手記として出版するケースは多い。近年映画化されたクリス・カイル氏の『アメリカン・スナイパー』や、本著にも登場する爆発物処理班(EOD)の実情を描いたブライアン・キャストナー氏の『ロングウォーク 爆発物処理班のイラク戦争とその後』等、戦地の生々しさを記録した作品は「実際に戦地に行った者でなければ書けない」ものだと思う。戦争経験者=著者の視点で語られる現実。それは傾聴に値する一方、気を付けておかなければならない部分もある。それは、『著者の主観と価値観に貫かれている』という事だ。

 例えば「イラク戦争に大義はあったのか」という疑問が投げかけられる時、それぞれの著者はどう答えるのか。同じ様に戦地に立った兵士の中にも「自分達が命をかけるに値する大義はあった」と考える者もいれば「自分達がイラクで行った軍事行動の中には不正義もあった」と主張する者もいる。だから、どれか一冊の本を読んでその戦争の全てを理解しようとするのは間違いだと思う。兵士達が体験した現実は、人の数だけ存在するのだから。特殊部隊に所属する精鋭もいれば、『イラク 米軍脱走兵、真実の告発』を書いたジョシュア・キー氏の様に「これ以上軍の命令には従えない」と脱走した兵士もいる。その中の誰が本当の事を言っていて、誰が嘘を吐いているのかという事ではなく、彼等にとっては自分の体験こそが現実であり真実なのだ。

 話を本著に戻す。『一時帰還』は短編小説集である。著者の体験をそのまま書籍にしたものではない。著者のフィル・クレイ氏が『創作した』物語は、あくまでもフィクションだ。しかしそのフィクションは、著者が体験した現実と、著者が知り得た他の兵士達の体験を元にしている。そして本作が更に興味深いのは、短編集という形式を取る事で様々な人物が登場し、それぞれの価値観や体験談を語る事にある。

 海兵隊の従軍牧師を語り手にした『アザルヤの祈り』。イラク派遣から帰国した兵士の視点から、彼が感じる「居心地の悪さ」を淡々と描く表題作『一時帰還』。中には「男性兵士が抱える性欲」というデリケートな問題を扱った『ベトナムには娼婦がいた』なんていう作品もある。それぞれの作品で語り手となる兵士達の価値観はまちまちだ。だが、その複眼的視点が、読者がイラク戦争というものを考えてみる上での助けとなる。戦争とは何なのか。そこに国家や為政者が掲げた様な正義はあったのか。兵士達の犠牲に報いるだけの価値が、意義が存在したのか。

 自分は日本人で、幸福にも戦争を知らない。兵士であった事もなく、これからそうなる予定もない。戦火に巻き込まれた事もない。家を焼け出され、水や食料、それに身の安全を求めてあてもなく歩いた事もない。そういう意味で自分は恵まれているし、感謝している。しかし、これから先もそれが守られるのかという不安は常につきまとう。戦後70年の節目を「70年も平和が続いている」と考えるのか「まだたった70年しか経っていない」と考えるか。もちろん、その「戦後70年」の間には世界中で様々な戦争や紛争があり、今も継続中である事も忘れてはならない。日本の安保法制をどうするのか。自衛隊の活動範囲を拡大して行く事で新たに発生するリスクや問題はないのか。隣国との外交問題の解決策はあるのか。そういった問題を「戦争を知らない」自分が考える上で、本作の様に「戦地の空気」を運んでくれる作品は貴重だと思う。戦争とはどんなものか。それを知った上で、これからの自分達の進む方向を見定めたい。この平和が80年、90年、100年と、更に長く続く様に。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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