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石の中にいる閉塞感を破る為に・江波光則『ボーパルバニー』

 

 『ボーパルバニー』と聞いて、「ああ、あのウィザードリィの首狩り兎ね」と即座に理解する世代というのも、自分も含めて既に中年である気もする。しかしまあ、本作は別にウィザードリィを知らなくても、もっと言えば「ボーパルバニーの元ネタはモンティ・パイソンだ」という豆知識を知らなくても楽しめるので問題は無いだろう。要するに「人の首を刎ねる首狩り兎」が転じて「殺人バニーガールが首を刎ねにやって来る」というある意味一発ネタとも言える思い付きを、プロ作家が大真面目に小説にするとこうなるという遊びだ。そして、遊びは本気でやるからこそ面白い。

 章題や登場人物等に所々ウィザードリィらしさを覗かせつつも、本作はB級アクションというかスラッシャームービーのノリで展開される。かつて中国人マフィアを出し抜いて3億円を奪った若者達が今度は命を狙われる。相手はどこかで金の匂いを嗅ぎ付けただけの奴なのか、それとも過去の一件に絡んだ報復なのか。それにしても殺人バニーガールとは常軌を逸している、という所で、当初はこのボーパルバニーが何者なのかも判然としない。それが徐々に明らかになって行く過程は小気味良い。「殺人バニーガールってアンタ」というほぼ全ての読者が突っ込むであろう衣装についても、やがて暗殺者なりの理に適った設定が付加されると「そういうのもアリ」な気がしてくるから不思議だ。

 ある意味、江波光則氏らしいというか、江波作品を読むといつも思うのだけれど、「セックス・ドラッグ・バイオレンス」を地で行く作品でありながら、妙に清々しい読後感がある。それは刹那的に生きる若者達の群像劇だから、という以上に、自分にとっては『前提が取っ払われて行く開放感』があるのかもしれない。

 「人を殺してはいけないのは何故ですか」という質問をしたり顔で発する若者を想像するとイラッとするかもしれないが、自分達が日々暮らして行く中で当たり前に守っている常識とか良識とか道徳心だとかいったものの中には、結構なグレーゾーンがある。合法だから、違法だからという線引きはひとつの目安としてあるものの、合法的に非道な事をやっている連中だっている。

 例を挙げれば、暴力で相手に言う事を聞かせようとすれば傷害罪だ。ただ、金や権力で相手に服従を強いる事は合法の範囲内でいくらでも出来る。モラハラだのパワハラだのといった行為は、相手を殴って服従させようとする事よりもある意味で悪辣だが、それでも無くならない。違法性の線引きが難しいからだし、所謂ブラック企業なんていうものが無くならないのも、この国にはプチ独裁者として振舞う企業経営者がゴマンといて、自分の権力を無自覚にちらつかせて労働者をいいように使う事が常態化しているからだ。

 何が言いたいかといえば、暴力行為を軽蔑しながら、合法的に、或いは脱法的にそれ以下の事をやっている人間なんて数えきれない程いるという事であり、人間の道徳心なんてそんなものかもしれないという事であり、倫理観だとか道徳心だとかいう、自分達が依って立つ『前提』自体は、結構いい加減なものかもしれないという事だ。

 例えば自分は殴り合いの喧嘩をしない。それは道徳心からそうしているのだとも言えるし、単純に腕っ節が弱いから、負ける勝負をしないだけだとも言える。仮に自分が総合格闘技でもやっていて、それなりに体を鍛え、人を殴って言う事を聞かせられるだけの力を持っていたとすれば、回りくどく穏便に話し合いで事を解決するよりも、暴力を背景にして事を進めた方が早いと考えるかもしれない。

 力が無いから。リスクが高いから。自分達が生き方を決める際の前提は、案外そんな打算的な価値基準なのだろう。高尚な倫理観や道徳心ではなく。そういう自分達が守っているせせこましい『前提』を、江波作品の登場人物達はどんどん外して行く。

 力が欲しいから体を鍛え続ける。或いは銃を手に入れる。欲しいものを手に入れる為に金がいる。その為には手段を問わず、何でもやる。そうして手に入れた力は、良くも悪くも自分の中の選択肢を増やして行く。それは自己の拡張でもある。ある意味で「自分の生き方」がいくつもの『前提』に絡め取られて固まってしまった人間、ウィザードリィ的に言い換えれば『*いしのなかにいる*』自分の様な人間からすると、彼等の野放図な、破滅的な、後先考えずにリスクを負ってでも自分の意志で生きる事を選んで行くやり方に対する憧れがあるのかもしれない。自分には、好き勝手に生きて破滅する事を選ぶ自由はないから。少なくとも、そう思わされてしまっているから。

 何だか最近ストレスを抱えていて、閉塞感が拭えない人は、もれなく本作を読むと良いと思う。彼等の様に生きる事はできなくとも、凝り固まった自分の中の前提という壁に、この物語は少しだけ穴を開けてくれる。そこから吹き込んで来る風は、きっと清々しいだろうから。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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