望むべき自分に這い上がる為に E・R・ブラウン:著 真崎義博:訳『マリワナ・ピープル』

 

 本著の帯には『珈琲を淹れるのはもう飽きた。これからは-犯罪だ-』という一文がある。でもこれは、本著の内容とは微妙に異なっている気もする。確かにマリワナ(マリファナ)の栽培や売買は犯罪だろう。でも、本著の主人公は退屈な日常に飽きて犯罪に手を染める事を選んだのだろうか。自分は、もっと切実な理由がある様に思う。

 カナダの国境近くにあるカフェでバリスタをしている17歳の少年、テイトは、14歳で大学に入学する程成績優秀だったが、1年目の終わりに退学させられた。そして両親の離婚や母親の病気から来る経済的な問題もあって移り住んだ町は、彼曰く「へんぴなところにある何の希望もない町」だった。母と妹を養う為にカフェで働く日々。珈琲の味の違いなどにさして興味も無いだろう地元の客を尻目に、凋落した自分を嗤いながら、テイトはいつかこの暮らしから抜け出す事を夢想する。その為に必要なのは、何よりもまず金だった。

 自分ではマリファナを吸うでもなく、他の麻薬に手を出すでもなく、真っ当な手段で金を稼いで生きていた人間が、ある日からただ金を稼ぐ為だけに犯罪行為に手を出す。これは現実にもよくある話だ。そして逮捕された後で、インタビューを受けた知人や隣人から「そんな事をする人には見えなかったんですけど」なんて言われるパターン。でも何となく、自分でもそんな気持ちになりかける事がある。それは自暴自棄とも少し違っていて、何と言ったら良いのだろう。つまり色々な事がばからしく感じられる時がある。

 真面目に生きていて、バカを見るなんていう事はこれまでにもたくさんあった。いちいち覚えていられない位に。一方、世の中には悪事を働いている人間は山程いて、その全てに罰が与えられたかといえば、彼等の中の多くはそれなりによろしくやっている。ならば自分は誰の為に善人でいるのだろう。努力を無駄にされたり、小狡い奴に出し抜かれたり、善意を踏みにじられたりしながら、それでもまともに生きようとしているのは何故だろう。そんなばからしさ。それはどん底に落ちた人間が自暴自棄に陥って手段を選ばなくなるのとはまた違う。上手い言い方が見付からないが、自分なりの言葉で言えば『天井が見える』という事だろうか。

 例えば会社員の自分は、月々会社から給与を貰っている。そうすると、月収や年収から「自分に許された生活レベルはこの程度だな」とか「生涯年収はざっとこの位だな」というものが見えてくる。そして、「気まぐれで買った宝くじで億の金が手に入る」なんていう事でもなければそれは概ね外れない未来予想になる。ライフプランナーの手を煩わせるまでもなく。それが『天井』という奴だ。どんなに頑張っても、真面目に務め上げても、自分の天井の高さはそんなに変わらない。そんな風にして思い描いた自分の将来に満足出来るなら、それはそれでいい。それは幸せな事だ。ただ、それが不服なら、どこかで生き方を変えなければならない。そんな時に自分の内側から聞こえて来る声がある。『手段を選ぶな』『機会を無駄にするな』と。

 その言葉に頷くのかどうか。実際に違法な手段で金を稼ぐ機会が向こうから転がり込んで来たとして、その誘いに乗るか否か。

 本作で主人公のテイトは誘いに乗る事を選ぶ。今の暮らしから抜け出す為に。珈琲を淹れ、客からのチップを期待する日々から脱却する為に。自分をこの天井の見えた世界から、より高みへ引き上げてくれるだけの金を手にする為に。その切実さは、薄っぺらい道徳や倫理観で対抗出来る様なものではない。

 今自分が立っている場所に不満があるのなら、自分の足でどこかへ向かって行かなければならない。その取り得る方法、選択できる方向の中に犯罪行為が含まれるのだとして、きっと善人は悪に『落ちる』のではなく、望むべき自分に『這い上がる』為に法を犯す事を選ぶのではないだろうか。その切実さを愚かだと断じる事は容易いが、自分にはそんな人々を嗤う事は出来ない。どうしても、出来ない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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