心の種は、芽吹かなくとも・上遠野浩平『螺旋のエンペロイダー Spin3.』

 

 上遠野氏がそうした様に、『夢』というものを、『花』に置き換えてみる。

 “どこから来たのか不明なのに、気がついたらすごく心の中に深く根を下ろしてしまっている。”

 夢の事をこんな風に書く上遠野氏は、幼い頃から小説家になりたいという夢を持っていたが、実際に小説家になった今でも「なぜ自分が小説家になりたくなったのか」がまるで思い出せないのだという。『気づいたら心の中にその想いが開花していた。』と記す彼の作品を読みながら、自分は、自分自身の咲かなかった夢を振り返る。

 自分もまた、小説家になりたかった時期がある。それが過去形なのは、過去形にしたのは、ある時にそれを諦めたからだ。

 昔から本を読む事が好きだった。本が好きで、物語が好きで、妄想する事が好きだった。どこにでもいる本好きの、どこにでもある夢だった。言い換えれば戯言であり、今思えばそれを叶えようと本気になった事も無かったのかもしれない。叶えたい夢ではなく、叶わなくても良い夢であり、憧れだった。自分はただ色とりどりの花が咲いているのを見て、それらに魅了されただけだったのだろう。今振り返ると、そう思う。ただひとつ言える事は、当時の自分が見つめていた花こそが、上遠野浩平氏だったという事だ。誤解を恐れずに言えば、自分は小説家になりたかった訳ではなく、上遠野浩平になりたかったのだろう。我ながら、大それた願いだったと思う。

 何をもって優れた作品とするか。人によってその基準は違う。小説だけに絞って考えたとしても、著名な文学賞を受賞した作品が優れた作品であるという人もいれば、発行部数の多さを基準にする人もいる。それらは分かり易い指標として機能するし、実際に芥川賞や直木賞、最近では本屋大賞等を受賞した作品はよく売れている様だ。中には既に売れている作品を後追いで評価する例もあるだろうが、受賞が更なる評価のきっかけとなる事も多い。より多くの人に読まれ、支持される事。それは確かに作品が評価されたという事だろう。

 ただ、世間一般の評価とは別に、自分の中での評価というものもある。自分以外の誰が評価したかや、発行部数ではなく、どれだけ自分の心に深く突き刺さって来る作品かという評価。誰と共有するのでもない、自分の中だけの評価。その中で、上遠野浩平という作家は常に特別だ。過去形ではなく、今も。

 好きな作家の話をしていると必ず「どの作品が一番好きですか」という話になる。もちろんその問いに答える事は可能だろう。また「作中から好きな言葉を引用して下さい」と言われれば選ぶのに困る程思い浮かべる事だって出来る。でも、上遠野浩平氏に限って言えば、自分が一番好きな作品は、きっとその時点での最新作なのだろうと思う。

 上遠野浩平は書き続けてくれる。

 自分の中の花は咲かなかったけれど、その花よりももっと素晴らしい花を、彼は咲かせ続けていてくれる。かつての自分が憧れた花を。自分も彼の様に咲いてみたいと、分不相応な願いを抱かせるに足る美しい花を。それを見続ける事は、自分の中の咲かなかった花を、芽吹かなかった種を思い起こす事でもある。それは苦い。それは痛い。ただそれは、その苦みや傷みを感じ取るだけの心がまだ自分に残されているという事、自分がまだ摩耗しきってはいないという事の証左でもある。

 自分は、咲かなかった花を忘れない。芽吹かなかった種を忘れない。その上で歩き続ける事を、きっと生きると呼ぶのだろうから。

 (何か夢を叶えられなかった奴が書く駄目な文章の典型だよなこれ)
 (まあ、夢破れてもそこで終わりに出来ないのが人生って事で)

 BGM “ハルジオン” by BUMP OF CHICKEN

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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