ここではないどこかに思いを馳せるのなら・上遠野浩平『彼方に竜がいるならば』

 


 以前、電子書籍版の『ドラゴンフライの空』『ギニョールアイの城』の感想を書いたけれど、そこに『メフィスト』『ファウスト』両誌に掲載された単行本未収録作品と書下ろしを加えて刊行された本作。収録作は『事件シリーズ』こと『戦地調停士シリーズ』と、『ブギーポップシリーズ』のクロスオーバー作品だが、本作に限らず上遠野浩平作品は全部繋がっているので細かい事は気にせず読んだままの感想を大切にすれば良いのではないかと思う。

 設定が込み入っていて、登場人物が多いシリーズは、その設定や各登場人物の初出がどの作品だとか、作中で語られない部分が明らかにされているのがどの作品だとか、そもそもの世界観がどんなものかとか、そういった前提を全て理解していないと楽しめないのではないかという「敷居の高さ」を感じさせると思う。本作で言えば事件シリーズとブギーポップシリーズを読んでいないとそもそも何の話か分からないのではないか、という懸念があると思うし、それはある意味正しいのだが、自分からすると仮に両シリーズを全く読んでいない人が本作を読んだとしても、それはそれで伝わるものがあるのではないかと思う。それもまた上遠野作品が持っている魅力である――と言い切ったら流石にファンの贔屓目だと思われるだろうか。

 確かに前提となる作品を読んでいた方が作品について理解し易い。しかし一方で上遠野作品が繰り返し問うているテーマは普遍的なもので、様々なシリーズの中のどの作品から入ったとしても同じ様に読者に訴えかける力がある。竜が住まうあちら側の世界でも、自分達が立つこちら側の世界でも、人は同じ様な事で悩み、立ち止まり、空を見上げている。魔法が使えても、超能力に目覚めても、合成人間であったとしても、その心が抱えているものに違いはない。生きる事の『上手く行かなさ』とでも言えば良いのだろうか。皆どこか『ここではないどこか』或いは『今ではない何時か』としか言い様がない、漠然とした場所を探している様にも思える。それが見付かる日が来るのかどうかは、誰にも分からないが。

 最近、異世界転生ものが流行る理由というか、広く受け入れられる理由、読者がそれを求める理由について考える事があって、多分こういう事を書くと顰蹙を買うとは思うのだけれど、それでも誤解を恐れずに言うと、『ここではないどこか』を求める心理は、常に今の自分の報われなさにあるのではないだろうかと思う。

 自分はファミコン世代な事もあって昔からゲームが好きで、最近もモンスターを狩ってみたり、ブロックを積み上げて世界を復興してみたりと少ない自由時間をかなりの割合で捧げてしまっているのだけれど、昔何かの漫画で「ゲームは良いよなー、どんな時でもやる気出るもんなー」みたいな台詞を呟く無職だかニートだか、とにかく駄目人間がいて、その台詞からも分かる様に、ゲームといえば現実逃避の代名詞みたいに言われる訳だ。で、なぜゲームをする事が現実逃避になるのか、現実問題に対処する為のやる気は全然出ない人間が、ゲームだけは黙々と何時間もプレイしていられるのかというと、(あれはゲームをしない人からすると「何時間も同じ姿勢で画面に向かうなんて自分には無理」という事になるらしいのだけれど)実は単純明快で『ゲームは捧げた時間と努力に対する見返りを約束している』からだ。報われる事が約束されている事。インスタントな達成感が得られる事。それは現実にはないもので、だからある種の逃避先になり得る。事ほど左様に人は報われる事を欲している。

 現実に何かを達成しようと努力を続けたけれど、報われる事無く終わってしまったなんていう経験は誰にでもある筈だ。他にも、仕事や家庭環境で問題を抱えていたり、人間関係のトラブルで生きる事が辛くなってしまったりだとか。まあ、自分の努力不足が主な原因ではあるのだろう。ただ、自分だけではどうにもならない理由で『生き苦しさ』を抱え込んでしまっている人からすると、今は報われていない自分がいつか報われる場所、『ここではないどこか』を求めてしまうのは、ある意味当然だとも思える。求めたからといってそれが手に入るとは限らない訳だけれど。

 自分の才能が活かせる場所。ありのままの自分を受け入れてくれる場所。自分の居場所になり得る世界。ここではないどこか。それを描いて、与えてくれる物語には確かに需要があるし、人を慰めてもくれる。自分も今は上手く行かないけれど、いつかこの苦しみが、もがいている今この時間が報われる為の世界が開けるのではないか。いや、開けて欲しい、という欲求。ただ、上遠野作品で描かれる異世界は、そういう意味での『ここではないどこか』ではなく、常に『現実の鏡像』として描かれる。

 こちら側の世界も、あちら側の世界も、そこで生きる人々は皆自分達と同じ様に『ここではないどこか』を求めて虚空を見つめているのかもしれない。都合の良い答えも、確固たる自分の姿も、居心地の良い場所もそこにはなくて、それでもいつか叶う可能性も無ければ報われる保証も無い望みを捨てる事も諦める事も出来ずに自分達は生きている。どんな異能も、魔法も、その生きて行く上での問題を、悩みを、生き苦しさを解決してくれる事はない。その不確かさだけが確かな事である、とでも言う様に、自分達は揺れている。『ここではないどこか』に思いを馳せながら。

 彼方に竜がいるならば、という夢想。それが自分達にもたらすものは何なのだろう。ここではないどこかに思いを馳せる事には、どんな意味があるのだろう。求めている答えが提示される日は来るのだろうか。探している居場所に辿り着く事は出来るのだろうか。現実を生きるという事は、分からない事、不確かな事ばかりだ。それでも多分、自分達は探し続けるのだろうと思う。求めたものを得られる保証はどこにもない、この世界で。それはきっと、あちら側の世界でも同じなのだろうけれど。

 (で、ゲーマーと異世界転生ものの読者を敵に回す様な事言っといて自分も同類ってのが今回のオチか?)
 (息抜きは必要だよ。で、息抜きに世界を救わなきゃいけないんで、今日はこの辺で)

 BGM “Imagine” by John Lennon

 

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ジャンル : 小説・文学

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No title

再びコメントさせて頂きます。
黒犬さんの、
>異世界は、そういう意味での『ここではないどこか』ではなく、常に『現実の鏡像』として描かれる。
という一文、よくわかります。生きる意味に思い悩んでいる各短編の登場人物たちの、信じてはいないけれど密かに実在を願っているような『現実の鏡像』としての異世界というか。

また、そういった自身の居場所に悩む者にこそ異世界の一端と遭遇でき、主人公らに何かしらの変化が起こる、というストーリー展開に自分は上遠野浩平流のやさしさを感じましたね。

>ミヤシタさん

こんばんわ。お互い、今日は「夜更かしの日」の様ですね。

明日(というか既に今日ですが)が珍しく休みという事もあり、今晩は「映画館に足を運べなかった映画を観る日」という位置付けで『アントマン』とか『ジョン・ウィック』をレンタルして観ていたのです。特に『アントマン』は本作の感想に書いた内容とも少し関係する部分がある様に思います。

「妻と離婚して、最愛の娘(或いは息子)と会う事もままならない父親が、ふとしたきっかけで復権する物語」というのはハリウッド映画で繰り返し語られるテーマな訳ですが、『アントマン』もある意味そうした映画だったりします。ただここで面白いのは『アントマンに変身する事が出来る』という現実にはあり得ない能力を手にした主人公が、「どうやったら自分は娘が誇れる父親になれるのだろう」という等身大の悩みを抱えながら生きて行く姿だと思うのです。

上遠野浩平作品にも超常的な能力を持った登場人物が数多く存在する訳ですが、その力が必ずしも生きて行く上で他者を圧倒する有利さを保証するかというとそんな事はなく、むしろ異能に触れてしまったが為に『生き苦しさ』に絡め取られてしまったり、常人にはない責任を背負い込んでしまったりする事の方が多い様に思います。

「読者を気持ち良くさせる」事だけを念頭に置くならば、こうした現実的な設定をかなぐり捨ててしまう事も可能なのでしょうが、上遠野氏はそれをしません。それを「厳しさ」と感じるか「優しさ」と感じるかは受け手である読者に委ねられていると思うのですが、自分もまたミヤシタさんと同じ様に、それこそが上遠野作品に込められた『優しさ』なのではなかろうかと思います。

上手く説明しようとすると難しいのですが、上遠野作品は『現実と地続き』である事によって、現実を生きる自分達が感情移入する事が出来る物語になっている様に思うのです。「荒唐無稽で、全てが主人公の都合の良い様に回って行く世界」というのもそれはそれでエンタメとして痛快でしょうが、少なくとも自分の様な人間が感情移入する物語は、現実との地続き感を失わない物語の方である様に感じるのです。

そこに(架空の世界であるとはいえ)生きている登場人物達の姿と、自分を重ね合わせる事が出来る物語を、自分は欲しているのでしょう。そして自分にとって上遠野氏は、常にそれを叶えてくれる作家なのかもしれません。

No title

なるほど、『アントマン』ですか。確かにあの映画の主人公は終始可愛い愛娘のために奔走していましたね。スーパーヒーローと言えるほど超常的な能力は持っていないものの、ひとりの父親がなすべきこと、そして過去のことで溝が出来てしまったもう一つの父と娘の関係を、途中コミカルなシーンを挟みながら追求していました。自分はこれらの、理不尽な状況の中で、それでも自身の大切なものをあきらめずに追い求めるという姿勢に上遠野作品に共通するものを感じました。
プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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