世界に裏切られた男の、声なき慟哭・縹けいか『食せよ我が心と異形は言う』

 

 最近『Division』とかにかまけていて読書時間が減っていたのだけれど、ようやく読めた。まあその少ない読書時間で飛び付いたのが本作という辺り、自分も相当アレな人間なのかもしれないがそれは脇に置く。

 本作『食せよ我が心と異形は言う』は、復讐劇だ。
 10年前、《大奇禍(ヘブンズダウン)》と呼ばれる世界規模の天災によって人類は滅亡の危機に瀕した。その正体は《異形の天使(グリゴリ)》と名付けられた巨大な怪異の襲来であったのだが、脅威は6人の英雄の活躍によって退けられ、世界は復興へと歩み出している――とまあ、ここまでが表向きの話。

 異能を宿した6人の英雄。その活躍と犠牲によって守られた数多くの人命。その美談の裏側で闇に葬られた凄惨な事実が明るみに出る時、自らも『英雄』と呼ばれた男は復讐鬼となって立つ。他の『英雄』を残らず屠る為に。そして世界を救う為の生贄として差し出された少女の心を、取り戻す為に。

 少女の為の復讐劇というと、自分は真っ先に『鬼哭街』を思い出してしまう人間なのだけれど、ああいう、一人の少女とそれ以外の全て――そこには当然『自分の命』も含まれる――を秤にかけて、躊躇う事無く少女の方を取る男の生き様=死に様を描く作品を読むと、本当に心が洗われる様な気分になる。まあある意味病気かもしれないが。

 多くの復讐劇がそうである様に、本作でもまた復讐鬼と化した男は外道に落ちる事になり、その手を血で汚す。かつての仲間を裏切り、罪もない人間を殺め、他人を利用する。正義を嗤い、悪を騙る。そして相手が女子供であろうが容赦なく命を奪う。それも可能な限り惨たらしいやり方で。そこには慈悲のかけらもないが、男に言わせれば裏切ったのは仲間の方が先であり、もっと言えば世界の方が先だったのだ。世界に裏切られた男は、彼にとっての光が失われた世界の中で安穏と暮らす人間全てにその報いを求める。

 正しい人間が報われない世界。善良な人間に与えられるのが幸福ではなく、理不尽なまでの苦悩や苦痛、或いはいわれのない暴力である様な世界。そんな世界を、そんな世界を構成する一人ひとりの人間を救う価値が本当にあるだろうか。自分にとって尊いものが犠牲になってまで守った世界とは、人間とはこんなものか。こうしたテーマを扱った物語は本作以外にもある訳だが、往々にして人間を憎み、『世界の敵』へと落ちて行く者の中には明確な『理想像』がある様に思う。世界は、人間は、かくあるべきだという理想が。或いは、それを体現する存在が。

 本作において復讐鬼と化す男、黒羽園にとって、月白カノという少女は、間違いなく人間の善性を体現する存在だったと思う。自分を取り巻く世界がどれだけ悪意に満ち、この身に困難が降りかかろうと、この世界が生きるに値する場所なのだと信じさせてくれる存在。それが他ならぬ人間の悪意と仲間の裏切りによって失われたのだと知った時、男は悟るのだ。自分を裏切ったのは、彼女を裏切ったのは、個人ではなくこの世界そのものなのだと。だからこそ彼は、少女の為の犠牲を、彼女の為の生贄をどこまでも積み上げて行く。それこそ何千人何万人をその手にかけようが、一度は救おうとした世界を滅ぼす事になろうが、その過程で自分という存在が腐り落ちようが消えてなくなろうがもう立ち止まる事はない。その、自ら退路を断った男が破滅に向けて疾走して行く様は、こう言っては何だがある意味清々しい。

 本作については一応続刊を匂わせる部分もあり、個人的には単巻で完全燃焼して欲しかった様な気もする反面、続きが出るのならぜひ読んでみたいものだとも思う。本作を超える疾走感に期待したい。

 

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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