自らの力に抗うという事・冲方丁『マルドゥック・アノニマス 1』

 

 ここでマルドゥックシリーズについて一から説明する事はしない。それには膨大な文字数が必要になるだろうし、シリーズ未読の方にも通じる様に、あらすじだけをコンパクトに伝えようとしても、そこからこぼれ落ちてしまうものがどうしてもあるからだ。そして、それらあらすじとして要約出来ないものの方こそが、この作品群の中心である様に思える。

 「そんな事を言ったら全ての小説が当てはまるのではないか」という疑問が生まれる事は当然だし、事実その通りだ。およそ全ての読書体験とは作品と読者の間で完結するものであり、仮に同じ作品を読んだとしても、そこから得られる体験は人それぞれ全く異なる。その間には、たとえ作者であろうとも割って入る事は出来ない。それを前提として、敢えて書くのがあらすじであり、感想だと思う。自分も常日頃好き勝手な感想をここに書いている。ただ本作を語るにあたって、自分が過去に読んだ本シリーズの作品を振り返り、誰かにその体験を伝えようとしても、それは短い言葉で語る事が不可能なものだという事に改めて気付かされた。それは自分の手に余る。だからここでは、これまでマルドゥックシリーズを読んできた自分が抱いた本作の感想だけを書こうと思う。

 自分は時々考える。『意思の強い人』という言葉があるが、その強い『意思』とは、本当に確固とした揺るぎないものなのだろうか。人は、自分も含めて安易に『意志の強さ』といった言い回しをするし、実際『意思の強い人』という評価をしたり、されたりといった事がある筈だ。自分はといえば、自分では意志の強さなど少しも持ち合わせていないと思っているし、押しの弱さも自覚していて、どちらかというと周囲に合わせる事の方が多い。だが、その一方で『我が強い』と言われた事もある。自分をその様に評価した人に言わせれば、『その場その場では周囲に合わせていても、「根本的な価値観は変えないし、納得もしていない」という態度が垣間見える事がある』という事の様だ。実際面と向かってそう言われた訳ではないが、概ねその様な事を遠回しに伝えられた時、自分はそれまで自覚していなかった『我の強さ』というものに気付かされると同時に、妙に感心してしまった。この人は他人をよく見ているものだと。

 ただ、そうした『我の強さ』や『意志の強さ』なるものが、本当に確固とした、揺るがし難いものであるのかと言えば、自分は大いに疑問に思う。人は自分の能力や、置かれた環境、周囲の状況に応じて価値観や判断基準を変えていくものだからだ。

 いつか書いたと思うが、極端な話をすれば、自分が暴力に訴えて他人を屈服させようと思わないのは、腕っ節の強さで誰かと張り合って勝てるとは思えないからだ。だから基本的に話し合いをする。自分が折れるべきと思えば折れるし、譲るべきは譲る。時には折れたくなくとも折れなければならない事もある。ただそれは道徳観念や性格の大人しさから出ている行為ではない。それは後付けの説明の様なものだ。自分の大人しさは、自分の弱さと、そこからもたらされる「他人との衝突を避けたい」という価値観から生まれている。ただここで、もしも自分が他人を暴力で屈服させられるだけの力を持ったとしたらどうなるだろうという疑問が生じる。また、暴力でなくても社会的な権力や、地位や、財力があったとしたら? 自分はその時今の「大人しい自分」のままでいようと思うだろうか。

 本作では、過去にも繰り返し語られた『力の濫用』というテーマが再び掘り下げられる。常人を超えた力を持つ『強化された存在(エンハンサー)』達。生命の危機を救う代わりに、本人の意思で、或いはその意思とは関係なく異能を埋め込まれた者達。彼等の生は『強化された』事によって、それまでの自分のあり方から逸脱して行く。復讐心や征服欲を満たしたいという『焦げ付き』に対する『弱さ』という歯止めは奪われる。力を得るという事は弱さを失うという事だ。言葉にすればそれだけの単純な事実は、もっと大きな、本質的な問題に繋がっている。それは人の持つ善性の脆さだ。

 目の前に罵詈雑言を浴びせてくる人間が立っているとする。普段の自分はそれに耐え、聞き流そうとする。衝突すれば自分が傷付く。場合によっては相手も。ただここで、自分が着ているコートのポケットに拳銃が入っていたとしたらどうだろう。住んでいる国が違えば現実にも起こり得る、小さな『強化(エンハンス)』だ。日本で考えるなら、刃物でもいい。自分はその凶器を握り締めながら考える筈だ。このまま黙って相手の心ない言葉を聞き続けるのか、それとも今すぐに黙らせるのか。

 自分の様な弱い人間がまず取り得る選択肢は「そもそも力を持たない」事だ。持たない力を濫用する事は誰にも出来ない。ただ、力を持たないままでいるという事は、服従を強いられる事に対する抵抗力を持たないという事でもある。だからより困難な選択肢として、力を持った上で、それを濫用する事無く、己を律し続けるという過酷な道がある。

 大きな力は、人間の善性や道徳心など容易く剥ぎ取る。その力の誘惑、言い換えれば力の側が持つ「自分を濫用しろ」という声に抗う事が出来るかどうか。かつてバロットが過ちを乗り越えた様に、自分達もまた自分自身の内なる魂の高潔さを守る事が出来るのか。人は『力の濫用』という『力を得たが故の弱さ』に抗い得るのか。その事が本作以降も問われて行くのだろう。その物語の結末が幸福なものであって欲しいと願うのは、弱い自分の都合の良い願いなのかもしれないが。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon