ひとりの修羅が見つめる今・吉上亮『磁極告解録 殺戮の帝都』

 

 安倍吉俊氏の表紙イラスト(というかNOVEL 0の場合帯絵)も目を引く吉上亮氏の新作は、『パンツァークラウン フェイセズ』『生存賭博』がそうであった様に、変身ヒーローが登場するバトルものであった。本作に登場する『磁装甲冑』なるものは全身鎧ではないので、若干毛色が異なるとはいえ、作者の変身ヒーロー好きが伺える。

 さて、時は昭和7年。といっても史実のそれではなく、磁性流体を操作することによって人智を超えた奇跡を実現する超技術『磁律』によって発展を遂げた架空の帝都を舞台に、物語は展開される。磁性流体というのは何も架空の物質ではなく、よく科学実験の番組等でも紹介される、磁石を近付ける事によって黒い液体状の物質がウニを思わせる棘々した姿に変わったりするアレの事なのだが、『磁律使い』と呼ばれる人間は、磁力を自在に操る事によって高速移動したり、放った銃弾の軌道を制御したりする事も可能になる。『磁装甲冑』もまた、磁性流体を磁律によって装甲化し、身にまとうという代物だ。

 磁律能力の有無や、その強度は先天的に決まっており、どれだけ研鑽を積んでも後天的に身に付けたり、能力を強化する事は出来ないとされている。ならば磁律使いは特権的な存在であるのかというとさにあらず、甲乙丙で分類される磁律使いの中でも下級の者は『磁源労働者(マグネティック・プロレタリアート)』として過酷な労働に従事している。関東大震災からの復興の為に磁律が用いられる事になり、それによって発展する帝都の影には、彼等磁源労働者の置かれた過酷な環境がある訳だ。それはさながら小林多喜二の『蟹工船』の世界であるが、実際本作にも「磁源労働者の解放運動に携わっている活動家」として同氏が登場し、その著書『一九二八年三月十五日』についての言及もある。

 本作はこの様に、架空の能力である『磁律』と、史実としての昭和初期という舞台設定を織り交ぜながら、元無政府主義者でありながら現在は内務省・特殊検閲群に所属する男、仁祈生(ジン ギショウ)を主人公として展開される。冒頭で宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』が引用されたり、仁祈生の直属の上司にあたる財閥令嬢の名が織紗煉󠄁裡(オリザ ネリ)であったり、その妹として登場する少女の名がイーハであったりする等、変身バトルものに宮沢賢治作品のテイストを加えてまとめてみた、という印象が強い。(『オリザ』は『グスコーブドリの伝記』に登場する作物の名前で、由来は稲の学名とされ、『ネリ』は同じく『グスコーブドリの伝記』の主人公であるブドリの妹の名。『イーハ』の名は、恐らく賢治の造語で理想郷を意味する『イーハトーブ』からの引用と思われる)

 個人的に近年、明治、大正、昭和といった戦中戦後の激動の時代を描いた作品が増えている気がしている。
 代表的な所で、NHKの朝の連続テレビ小説を挙げると、現在放送中の『とと姉ちゃん』もそうだが、『あさが来た』『マッサン』『花子とアン』『ごちそうさん』等々。小説では百田尚樹氏の『永遠の0』がベストセラーになり映画化もされ、宮崎駿監督は『風立ちぬ』を最後に長編映画の制作から引退する事を発表。本作と同じNOVEL 0レーベルからも『S20/戦後トウキョウ退魔録』が刊行されているし、歌謡界では小林幸子が『千本桜』を歌うご時世である。(最後のは少し違うが)

 上記の様な流れを踏まえて言うが、本来、本作の様なバトルものを描く上で、舞台設定を昭和初期にしなければならない理由はない。それでも敢えて架空の昭和史を舞台とする事について、色々と解釈は出来そうだ。(作者の吉上亮氏は本作のあとがきで、『前々から特高警察ものを描きたいとは思っていた』という趣旨の発言をしている)そして作中でも、昭和という時代に生きる登場人物達の口から、これまでの時代、そしてこれからの時代(現実を生きる自分達からすればそれは現在にあたる訳だが)について語られる事になる。少し引用してみよう。

“出来ることなら、おれはあんたが生まれた時代に生まれたかった。
 まったく貧乏籤を引いたもんだ。
 人間は生まれる場所を選べない。生まれる家や親ってのを選べないのが不幸だという。しかし、どうだ。本当に不幸なのは生まれる時代を選べないってことじゃないのか?”

 昭和を生きる祈生は、明治を『黄金時代』だと振り返る。そして「おれたちの時代」である昭和を『国家という仕組みが出来上がってしまって、結局はそのうえで踊るしかない時代』であり、『何もかもが下がっていく一方だ』とうそぶく。そして「おれたちの次の時代」こそが『底の底』になるだろうと言い切る。それは言うまでもなく自分達が生きるこの現実世界の『今』の事を指している訳だが、その祈生の予言めいた言葉は、今を生きる作者から見た現在の世界の有り様を端的に表していると言える。

 この祈生の考え方や価値観に同意するか、あまりにも悲観的な考えだと受け止めるか。それは人によって様々だろうが、この「今の時代に閉塞感を感じている人々」が持つ、「ここではないどこか、今ではないいつか」を希求する気持ちが、過ぎ去った時代を懐かしんだり、美化したりという流れに繋がっているのではないかとは思う。それが良い事なのか、悪い事なのか一概には言えないが、確かに言える事は、どんなに過去を振り返ろうが、自分が生きる時代を悲観しようが、結局自分達は『今』を生きるしかないという事だろう。その動かし難い事実を飲み込んだ上で、どう生きるか。それは自分達一人ひとりに委ねられている。

  

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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