尽きる事無き愛を求める狂気・綾里けいし『魔獣調教師ツカイ・J・マクラウドの事件録 獣の王はかく語りき』

 

 本作における魔獣とは、人間に類似した部位を持つ魔物の事を指す。例えばそれは女性の上半身に猛禽の体と翼を備えたハーピーだったり、人魚だったりする訳だが、それらの魔獣を調教し、侍らせる事が富裕層の間で一種のステータスとなり、男性が魔獣との姦淫にのめり込むに至る世界観はなかなか面白い。

 冒頭からして既に「つい先日も元陸軍准将が、退役後の手慰みにと魔獣を飼ったが最後、若い愛人に溺れるかのごとくのめり込み、妻にピストルで撃たれるという珍事が起こったばかりだ。」などと記され、もし女性であれば「これだから男は」と言いたくなる事請け合いだ。

 『魔獣には人を狂わせる力がある』

 本作を読み進めて行くと、作中冒頭の場面で語られるこの言葉が、男という性のどうしようもなさを表すだけではなく、様々な意味で的を射たものである事に気付かされる事になる。

 魔獣を求める者がいれば、その魔獣を調教し、顧客に提供する魔獣調教師なる者もいる。その仕事ぶりは実在するペットのブリーダーにも近いが、彼等は犬で言えば新たな犬種を作り出す様に、魔獣を掛け合わせて行く。より美しく妖艶な魔獣を。より強靭で他の魔獣を容易く屠る事が出来る魔獣を。彼等の飽くなき探求も、需要と供給という言葉には収まらない、狂気じみたものだ。魔獣を求める顧客も狂っていれば、彼等魔獣調教師もまた彼等なりの狂気を持っている。その狂い方の度合いと方向性が違っているだけで、彼等は同じ穴の狢だ。

 そんな人間の狂気を前提として、作品の題名にもなっている魔獣調教師にして『獣の王』と称されるツカイ・J・マクラウドは魔獣調教師の最高位とされる『オリハルコン』の位を得た稀有な才能の持ち主として描かれる訳だが、他の魔獣調教師と彼の狂気もまたその方向性を異にしている。皆が狂っている中で、何を目指し、どんな狂い方をしているのか。その狂気の強度とは如何程のものなのか。それは本作を読み進めて行く中で明らかになる訳だが、ひとつ言える事があるとすれば、人の恋や愛と呼ばれる感情もまた、ある意味においては特級の狂気である、という事だろうか。

 雌の魔獣に耽溺する男達の性衝動も、彼等を顧客とする魔獣調教師達の、魔獣という種を己の意のままに操り、交配し、自らの望む姿の魔獣を創り出したいという欲求も、全ては自分に逆らわない存在、自分を否定しない存在、自分の欲望を拒絶しない存在を求め、全能感を味わいたいという欲求である様に思う。そして、それはこの現実でも変わらない、人間が持ち続ける暗い感情=無条件の承認欲求に他ならない。平たく言えばそれは『愛されたい』という事でもある。

 およそ人間が持つ『欲』とは、全てこの承認欲求に繋がっていると言える。権力欲や金銭欲、或いは性欲。それらは突き詰めれば、自分という存在が無条件に肯定され、愛され、尊重されていたいという、現実にはあり得ない夢を捨てる事が出来ない故に生じた心の中の穴の様なものだ。その、本来決して埋まらない深い穴に、金や権力で手に入れた他者からの服従や自己肯定感という代替品を次々と投げ入れる事で、自分達は何とかその空虚を埋め合わせようとする。それが決して埋まらない穴なのだと誰もが気付きながらも。そこには終わりがないし、果てがない。だから狂気が尽きる事もない。

 本作はそんな人間の尽きない狂気を、愛や恋といった、本来であれば美しいとされる感情の一側面として描く事によって、人が陥っている狂気の深さと、救えなさを描き出している。当初『獣の王』ツカイは、そんな人間の愚かさを玉座の高みから見下ろし嘲笑う、達観した視点を持つ人物であるかの様に描かれるのだが、やがて彼こそが誰よりも深い穴を抱えているのではないかという事が明らかにされる。王であってもその胸に欠落を抱えているのか、或いは誰よりも深い穴を抱え持つ者こそが王になるのか。おそらくは後者が正解なのだろうと思う。

 

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ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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