それぞれの「君」を求めて・新海誠『小説 君の名は。』 加納新太『君の名は。 Another Side:Earthbound』

 

 新海誠監督作品『君の名は。』ようやく劇場に足を運ぶ事が出来た。
既に各所で興行収入の話や作品の内容に関する話が出ていて、相当ヒットしているらしいという事は未見の方でもご存知かと思うのだけれど、噂に違わぬ素晴らしい作品だったと思う。これから観に行くという方もいるかとは思うので、これ以上は伏せるけれど。

 自分も映画を観るまで一切の事前情報は仕入れない様にしようと思い、それこそ映画の予告編から宣伝の特番、雑誌類での特集記事に至るまで、全て目を背けて過ごしていた。そんな中、当然新海誠監督による原作本『小説 君の名は。』も購入だけして読まずに封印していたのだが、これにて解禁という事で、劇場から帰ったその日に『小説 君の名は。』を読み、後日、映画では語られなかった部分を描く短編集、加納新太氏の『君の名は。 Another Side:Earthbound』を読んだので、2作合わせて感想を書こうと思う。感想の中で映画の内容に触れない訳には行かないので、まだ劇場に行っていない方で、何かの間違いでここに来てしまった方は、自分が書いた文章など読んでいる場合ではないので今すぐ劇場へ。事前情報無しで劇場に行った方が絶対に良いと思うから。








 さて、以上前置きを終えた所で、まずは『小説 君の名は。』から。
 あとがきの中で新海監督自身が触れている様に、当初小説版を執筆する予定は無かったとの事だが、映画の完成前に本作が執筆され、先に世に出た事で、普段新海作品を観た事が無かった人の中にも劇場に足を運んでみようと思った人がいたのかもしれない。中には自分の様に、頑なに「劇場で映画を観るまでは、たとえ監督本人が執筆した原作といえど読まずにおこう」と決めていた人もいるのかもしれないが。

 自分は、これまでの作品がそうである様に、新海作品は映画で観てこそだと思っているのだけれど、小説という媒体にも優れた点はある。それは新海作品に見られる特徴的なモノローグが、小説という形だと何度も反芻する事が出来るというか、心に留めておけるからだ。それは例えば、本作の第一章『夢』の様に、三葉と瀧が、それぞれの暮らしの中で、相手を探し求めているシーンに表れている。相手の名前も、共にした筈の思い出も記憶からこぼれ落ちてしまった中で、微かな記憶の欠片が、かつて自分達の間にあった『ムスビ』の名残の様な淡い想いが、今となっては名前も分からないままの『誰か』を求めている。どこかの誰かではなく、この世界でたった一人の『誰か』を。名前も知らない、でも確かに存在した筈の『君』を。

 映画では長い時間をかけて、沢山の言葉で、綺麗な映像と音楽で、役者の演技で、それら全てが撚り合わされた全体で観客に提示される物語を、小説は言葉の精緻さと鋭さだけで、作者と読者との一対一の関係の中で表現して行く。映画には華があるが、小説には切実さがある。読者の胸に深く刺し込まれる言葉は、胸を打つというよりも、刺し貫かれる様だった。

 自分は、そしてこう言い換える事が許されるなら『自分達』は、きっと皆が誰かを求めている。名前も知らない、出会った事すら無いかもしれない、けれど確かにこの胸の中に存在する『君』を。その空白を埋めたくて、埋められなくて、代わりの何かを必死にその中に詰め込む事で忘れようとして、目を逸らそうとして、それが出来なくてまた振り出しに戻ったりして、焦燥感に突き動かされる様にして歩いている。その先にもう『君』はいないかもしれないのに。いや、確実にいやしないのに。それでも諦め切れない『君』の形を、いつも探している。

 いつか『君』に出会う事は出来るのか。映画ではない現実には何の保証もないけれど、その長い道程の途中に、本作の様な希望があってもいい。自分はそう思う。


 そして『君の名は。 Another Side:Earthbound』について。
 自分は普段、映画のスピンオフ作品の様な立ち位置にある作品にあまり触れない。原作至上主義とでも言うのだろうか。しかし本作については短編集という形式もあり、映画の中で語られない部分を補い、作品世界の奥行きを広げる役割が与えられている様に思う。

 三葉と入れ替わった瀧の視点から、一見コミカルな作品かと思わせつつ、三葉の人物像を掘り下げて行く第一話『ブラジャーに関する一考察』。その友人、テッシーこと勅使河原克彦を主役に据えた第二話『スクラップ・アンド・ビルド』では、糸守町に対して彼が抱いている思いと、将来への不安と希望が入り混じった胸中が丁寧に描かれる。三葉の妹である四葉から観た世界が描かれる第三話『アースバウンド』は宮水の一族と糸守の『ムスビ』を観る事が出来る。そして最後に第四話『あなたが結んだもの』は、映画の中では三葉との複雑な親子関係を滲ませる父、宮水俊樹の視点から、彼がなぜ政界に進出しようと志すに至ったのか、親子の確執を生むに至った背景には何があったのかを明らかにしつつ、彼もまた物語の中で『ムスビ』に導かれる様にして役割を果たしたのだという事を描く。各話それぞれ特徴はあるが、総じて映画の中では語り尽くせなかった部分に光を当てる作品になっている。よって、映画を観た後で、また原作小説を読んだ後で手に取るのが望ましいだろう。

 というわけで、小説版2作品の感想は以上で。映画の感想は書き出すときりがないので止めた。本当にいくらでも書ける。ここまで語りたい事があると、文章を書くよりも直接話した方が早いので、今回はここまでに止めておこうと思う。機会があれば、またいずれ。(RADWIMPS 『君の名は。』を再生しつつ)