未来視という名の呪縛・上遠野浩平『パンゲアの零兆遊戯』

 

 積み上げては、崩される。また積み上げる。今度は自分のミスで崩れ落ちる。また、積み上げる。そんな事の繰り返しは、本当に『未来』に繋がっているのか。未来視ではない自分には、何も分からない。本当に、何もかも分からない。

 本作『パンゲアの零兆遊戯』では、ジェンガによく似たゲーム『パンゲア』によって、未来視の能力を持つとされる『特別感受性保持者』(Especially Sensitivity Totally Bringerの頭文字を取って<エスタブ>と呼ばれる)達が競い合う。そのゲームを取り仕切る側は、彼等エスタブを競い合わせる事によって格付けし、彼等が指し示すバラバラな未来視の確度を推し量り、世界経済を回す上での指標にしたり、単に賭けの対象にしたりする。

 10人にも満たないエスタブ達が繰り広げるゲームによって世界経済が左右されるなど、何やら陰謀めいたものを感じるが、そもそも『エスタブ』などと言うとそれこそ『エスタブリッシュメント』(establishment・既成の秩序・権威・体制。支配体制。また、権力や支配力をもつ階級・組織)の様ではある。未来視能力者がもたらす秩序。かくあるべき、という将来の方向性。捉え所のない『未来』というものを、何とか目に見える形に、手で触れられるものに引きずり降ろそうと足掻く組織と、その為に価値を見出され、利用されるエスタブ達の関係。それらは何やら寓話めいた物語として読者の前に提示される。

 現実に、先日投票が行われたアメリカ大統領選挙の様に、過激な言動を繰り返し、単なる泡沫候補の一人とされていた男が選挙戦を勝ち抜いてしまう事もある。各界の著名人や有識者とされる人々もその事を見抜けなかった。それ程までに「何が起こるか分からない」世の中で、未来を予測できる、或いは未来視からの予言を受けられるというのは、実際にそんな事が可能なのだとすればこの上なく有利だと言える。その不確実さや曖昧さは溺れる者が掴もうとする藁にも等しいものかもしれないが、周囲に何もない大海原に、縋るものも何ひとつ与えられずに突き落とされ、今まさに波に飲まれようとしている人間には、その藁こそが得難いものの様に映るのかもしれない。

 何もわからない、保証がない未来に向けて進んで行かなければならない自分達が縋ろうとするもの。或いは利用しようとするもの。それを提供するエスタブ達もまた、同じ様に自分達の側を利用し、また組織が用意する特権に依存している。だからこそエスタブ達は競い続けるしかない。自分の有用性を証明し続ける事で、与えられた権利を守らなくてはならない。それは他者と競争する事で自らの優位性を守るというのではない。他者を打ち負かして自分の正しさを証明するというのでもない。自分の目に映ってしまう未来。自分の指先が触れてしまう未来というものに、彼等もまた振り回されている様に見える。異能は異能であるが故に、他の凡俗の様に普通に生きる事を剥奪される。そして異能に触れ、魅入られた者もまた、平凡な人生の道筋から逸脱して行く。

 特別な能力を持っているという事。一般人にはない権利を与えられているという事。その事が決してプラスにだけ働くものではない事に自分達は気付いていて、それでも彼等を羨む事を止められない。自分が平凡な存在である事、取るに足らない存在である事に息が詰まりそうになる。『生き苦しさ』を感じる。でもどうだろう、仮に自分がエスタブの様に、或いはMPLSの様に、でもいいけれど、ある日突然に異能に目覚め、或いは異能を与えられ、平凡さの中から逸脱してしまって、もう二度とその穏やかな流れの中には戻れないのだと知ってしまったら。何かと、誰かと、或いは世界そのものと対峙しなければならない定めを負わされてしまったのだとしたら。『世界の敵』になってしまうのだとすれば。

 その時、自分の目にはどんな未来が視えるのだろう。
 それはもしかすると、図らずもあの国の次期大統領に担ぎ上げられてしまった男が、今になって戸惑いとともに見ている景色にも近いのかもしれない。

 (こんな風に考えると、あの次期大統領にも感情移入できる気がしないでもない)
 (でもアレは自分が見てる未来を正義と信じ込んで流布する一番面倒臭いタイプなんじゃないか実際)

 BGM“Slave Only Dreams To Be King” by Marilyn Manson

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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