自分が立っているのは壁のどちら側なのか・吉田エン『世界の終わりの壁際で』

 

 年末の忙しさの中、やっと読書時間が取れました。(他の『積読』から目を逸らしつつ)

 さて、本作には『近い内にこの世界は滅びる』という前提のもとに、2つの街が登場する。
 ひとつは旧山手線の内側を覆う様に建造された巨大な壁で守られた城壁都市<シティ>。もうひとつはその中に入る事を許されなかった人々が、<シティ>へ入る為の『方舟の切符』を求めて喘ぐ様に暮らす<市外>だ。

 主人公の片桐音也は孤児院育ちの少年で、<市外>で暮らしている。<フラグメンツ>と呼ばれる対戦型のネットゲームで<シティ>内のプレイヤーと対戦し、ファイトマネーを得たり、<市外>で主に子供達の目を楽しませる為に上映される「エア・ショー」と呼ばれる3Dエア・プロジェクション・システムの制御を行うアクターとして働いて日銭を稼いだりする事で何とか食い繋いでいる。

 最初は「世界が滅ぼうとしている時、人類が生き残りを掛けてあがいている時にネットゲームやエア・ショーなんていう娯楽に割くリソースがあるのか」とも思ったが、逆に物理的な豊かさが何もない<市外>で、制約を受けず自由にできるものが、もうバーチャルなものしかないのだという事、そして『楽園』とされる<シティ>の中で何不自由なく暮らしている人々の暇つぶしとして<フラグメンツ>が流行している事などが説明されて行くと、そんなものなのかな、とも思う。

 『方舟の切符』を手に入れる為にはどうすれば良いのか。それは金で買えるものなのか。そもそも世界は滅びると言うが、どんな原因で滅びるのか。自然災害と言っても色々ある。そこから一部の人間を生き延びさせようとして建造された城壁都市<シティ>は、本当に人々を守り得るものなのか。そもそも<シティ>の中で暮らす人々が具体的にどんな生活をしているのかさえ、<市外>で暮らす片桐達には分からない。ただ推測で知る豊かさや平穏と、それを決して得る事が出来ない自分達との違いに打ちのめされているだけだ。

 「どうせ世界は滅ぶ。その時に『方舟の切符』を持っていない自分達は皆死ぬ」

 その諦観が片桐達<市外>に暮らす人間達の根底にある。希望はない。未来もない。ないものねだりをするつもりなら、壁の内側に行くしかない。どんな事をしてでも『方舟の切符』を手に入れて、壁を乗り越えなければならない。

 そんな中で、片桐は『コーボ』と呼ばれる人工知能を手に入れ、雪子という少女と出会う。そしてその出会いは、やがてこの世界の仕組みを明らかにし、壁の内側へと片桐を誘う事になる。漠然と想像する事しか出来なかった方舟の中。その世界の実態と、都市を管理している権力者達の思惑。そうしたものが明らかになるにつれ、片桐は選択を迫られる事になる。生き残る為に。今はまだ無い自分達の未来を、その手で創る為に。

 こうした物語を読むと、読者である自分はまず『自分はどちら側の人間なのか』という事を考える。片桐と同じ<市外>に暮らす側なのか、<シティ>の内側で安穏としている側なのか。当然自分は前者だと思ってこの物語を読み始める。

 最近は『貧困』を扱った番組もよく放送される様になったが、自分はどちらかというと中流層から少しずり落ちた側なのではないかと思う。『絶対的貧困』ではないし、『相対的貧困』と呼ばれる年収層まで落ち込む事からもかろうじて逃れてはいるが、裕福だという実感からは程遠い辺りを漂っている暮らし。だからこそ自分は<市外>の人々に感情移入する訳だが、<シティ>の中で暮らす人々の実像が明らかにされる時、それが当初想像していた「破滅から逃れる為に選抜された富裕層、エリート層の暮らし」とはかけ離れたものである事を知る事になる。そしてこう思う。

 「自分が立っているのは、壁の『どちら側』なのだろう」

 本作の題名が『世界の終わりの壁際で』であるのも、恐らくはその辺りに理由があるのではないかと思う。壁際。巨大な壁の内側と外側。そのどちら側に自分達は立っているのか。自分自身を貧しいと思う一方で、もっと貧しい人々からこの国=現実の日本は明らかな搾取をしてもいる。発展途上国から資源を買い漁り、労働賃金が安い外国で加工された製品を消費している自分達は、都合の良い情報にだけ耳を傾け、目を向ける。どこか海の向こうでは紛争が続き、空爆が絶えず、今この瞬間にも命を落とす人々がいるらしい。でもそれは海という巨大な『壁』の向こう側で起きている他人事であって、自分の頭上に爆弾が落とされている訳じゃない。だから聞き流している。事によると自分達は既に日本という方舟に乗っている事になりはしないか。『方舟の切符』は、自分が生まれた時から持っている日本国籍の事ではないのか。

 以前アーシュラ・K・ル・グィンの『オメラスから歩み去る人々』の感想の中でも書いたが、自分達の暮らしを維持する為に、顔も知らない誰かが貧しさに耐えている事。その事に、自分達は無自覚になってしまっている。それを糾弾する資格を自分は持たない。他ならぬ自分自身がそうだから。でも、その事に気付いた上で、この国から『歩み去る』事も出来ないのなら、どう生きていくべきかを考える事は必要なのではないかと思う。

 世界は、遠からず滅びるらしい。その前提はフィクションだ。でも、本当になるかもしれない。目に見える壁はまだ建造されていない。<シティ>も現実世界には無い。でも、どこか遠く海の向こうでは絶えず銃声が響いているし、環境破壊も深刻になりつつある。そして街を歩けば貧困の足音が聞こえる。だから自分は不安になって、目を落とし、地面を見つめる。

 「自分が立っているのは、壁の『どちら側』なのだろう」

 再度の問いに、答えてくれる人はいない。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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