まだ機械にはなりたくない僕等は・水野昴『偽る神のスナイパー 3』

 

 思えば1巻の感想で『個人的にはザイシャが「人間として」幸福になる事を願ってやまない』と書いたのが2016年の4月だった。その後2巻を挟んで、今回この3巻をもって完結する事になった物語が、果たして自分が望んだ様なハッピーエンドを迎えられたのかどうか。それは各々が本作を手に取って自分で確かめて頂くのが良いだろうと思う。ただ、それだと本作の感想として片手落ちなので、無粋を承知で半分以上答えを言ってしまうならば、個人的には良い結末だったと思う。

 あくまでも自分の場合だけれど、特にライトノベルについては『シリーズが完結するまで評価を固める事が出来ない』というもどかしさがある。単巻で完結する作品と違って、ライトノベルの場合は何冊かシリーズ作品として刊行を続けて行く中で、ひとつの大きな物語が形成される事が半ば前提としてあるので、物語の着地点を見定めるまでは自分の中での評価も固め難いのだ。1巻を読んだ時点で引き込まれる物語もあれば、シリーズが続いて行く事で次第に魅力が高まって行く作品もある。そういう意味では、ライトノベルは連載を続けて行く事が前提の漫画にも似ている。巻数を重ねる事で作品は変化して行く。それは進化であり、深化でもある。また作品のテーマも次第にスケールが大きくなって行く気がする。それを物語の結末に向けて拡散させる事無く収斂させて行かなければならない創作活動というものは、やはり難しい。まあ難しいからこそやり甲斐があるのだろうし、読者としても作品が良い結末を迎えられる事は読んでいて幸福な事だと思う。

 話を本作に戻す。本作もまた1巻の頃は、心に傷を負った少年少女が互いの過去を乗り越えて新たな一歩を踏み出せるのかどうかという物語だった。それがこの最終巻では、人間が生きて行く上での幸福とは何か、そして人のあるべき生き方とは何かという所までテーマを広げている。それは登場人物の成長であると同時に、作者の中で作品自体が育って行った結果であるのだろう。大きく広げた物語は畳む事が難しくなるのが常だが、本作ではその着地点をぶれさせない為に、先に書いた少年少女の物語、その二人の絆の物語を軸にしている。様々な困難が待ち受ける中で、主人公である吹芽とザイシャは何を求め、どう生きて行こうとするのか。

 人間のあるべき生き方を探るにあたって、何が人を人たらしめているのかという問いを避けて通る事は出来ない。それは本作でも同じだ。ある意味でゾンビの様に人ではなくなってしまった存在=レヴナントが闊歩する世界で、人とレヴナントを分かつものとは何か。ザイシャや吹芽がそうである様に、兵器として、或いはその使い手として、普通の人間の枠から半歩踏み出してしまった者とレヴナントを分かつものは何なのか。それを明らかにする為には、やはり『心』という捉え所のないものに迫らなければならない。それには多大な労力が必要になる。何せ自分でも自分自身の心なんて掴み切れないのだ。その移ろい易い心を捕まえて、何が大事なのかを洗い出し、物語として定着させなければならない。本来架空である登場人物達の心が、作り物めいた、テンプレートを書き写した様なものになってしまわない様に肉付けをして行かなければならない。そしてその事を通してでしか、本作が扱うテーマの結末に至る事は出来ない。

 それが成功しているかどうか。それはこの物語の結末を読んだ読者が判断する事だ。

 しかし、人間とはつくづくままならないものだと思う。
 心は脆い。そして移ろい易い。仮にそんな柔らかい部分を最初から持たなければ傷付く事など無いだろうに、後生大事に抱えていないと生きて行けないものだから、誰も彼も大なり小なり傷だらけだ。仮に自分がロボットだったらと仮定してみる。どんな仕事を振られても文句も言わず、ただ命令を実行するだけのロボットだったら楽だろうと思う。もっとも、もしも本当にそんな有様だったら楽だの苦だのと感じる部分も無い訳だから、どんなに苦しかろうが何程の事もないのだろう。

 感受性や心とは、酷い言い方をすれば人間が持っている脆弱性だ。だからいつか、それらが不要だとされる世界が来るのかもしれない。或いは、それらを切り捨てなければ生きられない様な過酷な時代が来ないとも限らない。誰にも未来の事は分からないのだから。それでもその脆弱性を、心を切り捨ててしまった人間を人間と呼んで良いのかという疑問符は消えないのだろう。何となればその弱い部分、脆い部分に宿っているものをこそ、自分達は『人間性』と呼んでいるのだろうから。それを失った時、或いは捨てた時、その無くしたものの方こそ大事なものだったと自分達は気付くのだろうか。気付く事が、出来るのだろうか。

 現実は厳しい。その中で生きようとする時、心は煩わしい。その弱さ、脆さは人を苛む。それでもなお生きていこうとする動機、困難に立ち向かおうとする気概は、実はその脆い心の内側にしか存在しないのではないか。それは矛盾している様で、こう言っては何だが少し可笑しい。弱い筈の心から、自分達は次の一歩を踏み出す為の力を汲み出している。そして、それを失って自動機械の様になる事を、自分達はまだ望んではいないのだろう。本作で吹芽とザイシャが選んだ様に、悲しみもないが喜びもない世界より、多くの悲しみの中から喜びを拾い集めようとする生のあり方を、人は『生きる』と呼ぶのだろうから。

 

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ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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