躱せない、言葉による刺突・江波光則『屈折する星屑』

 

 今回、あらすじは他に譲って、砕けた言葉遣いで感想を書こうと思った。綺麗に、丁寧に、順序立てて、整理した感想を書く事も出来る。ただそれでは本作で描かれる、ある意味無軌道で衝動的な、刹那的な若者の生き様には近付かない様な気がする。

 バイクという乗り物に対する憧れがある。実際に乗った事がある人、今も乗っている人からすれば自動車と同じ様にただの移動手段なのかもしれない。でも本当にただの移動手段として考えるならば、車の方が楽だ。雨風は凌げるし、エアコンもある。荷物もより多く積める。万が一事故に遭った時も安全性が高い。
 バイクとは自動車にはない不便を許容する代わりに、自動車では味わえないものを享受する為の乗り物なのだろうと思う。それが何なのかは人によるだろうが、バイクに乗るという経験をした事がない自分には知り得ないものがきっとそこにはある。

 この間、自分の車と並走する形で暴走族に会った。今となっては古式ゆかしいのかどうか知らないが、改造されて大きく張り出した風防と、背もたれがやたら縦に長いシートを持つバイクに跨り、たった2台で、道交法を守って安全運転で走っていた。信号待ちでやたらと空吹かしするのだけが喧しかったが、それも「自分はここにいるぞ」という自己主張なのだと思えばまだ許せた。赤ん坊が泣くのと同じだ、とか言ったら向こうは怒るのかもしれないが。

 自分は30代も後半、40が目前のオッサンで、彼等と同じ事をするだけの熱量はもうない。いや、爆音を立てて(そのくせ速度制限はきっちり守って赤信号では停車する様に)走りたい訳ではないが、自分のやりたい事をやる為に手間を掛け金を掛け、自動車に比べれば不便である代わりに単車が与えてくれる何か得難いものを味わっているであろう彼等が素直に羨ましかった。そして同時に思った。自分は誰に遠慮して馬鹿真面目に生きているのだろうと。

 自分が中高生の頃だっただろうか。バイクに興味がある様な事を言った時、「事故ったら間違い無く死ぬ事になるから止めた方がいい」と言ったのは親だった。実際中学校では上級生がバイク事故で死んでいたから、その言い方はもっともだった。万が一事故に遭ったら死ぬ。でもそれが何だというのだ、と反発し、我を通すだけの情熱は自分には無かった。自分は聞き分けが良いだけのガキで、人からちょっと押されれば引っ込める程度の自己主張しか出来ない奴だった。その事が今もって尾を引いている気がする。何に対してか。自分が今クソつまらない生き方をして年老いて行こうとしている事に対してだ。

 昔から不良やヤンキーは嫌いだった。暴走族も嫌いだった。自分勝手に振る舞って他人に迷惑を掛けて悪びれない。そのくせ時期が来たら足抜けして「自分も昔はワルかった時期もありましたけど今は真っ当にやってます」という体でしたたかに社会に順応して行く様も嫌いだった。自分の様に親の言う事に従い、教師や大人に反発する事もなく真面目にやるしか能がない聞き分けが良いだけの人間を嗤っているかの様な連中の態度が大嫌いだった。憎んでいた。なぜそこまで憎むのかと言えば、本当は彼等が羨ましかったからだ。

 自分の命を、他の誰に遠慮するでもなく配慮するでもなく使ってみたい。

 無軌道な事をこそやってみたい。周りから馬鹿にされ嗤われ唾棄される様な、それでいて自分が生きている事を実感できる様な自分勝手な事がしてみたい。「単車で事故ったら死ぬ? 危ないから止めとけ? 知るかボケ!」位のふてぶてしい態度で、他人に不快感を与えても何とも思わず自分勝手に手前勝手に自分の命を使う。自分の命を生きる。その程度の事が出来なかったから自分は今こうしてここにいて、自分以外の誰かの為にはなっているのだろう真面目さと聞き分けの良さを発揮して毎日働いている。やりがいとか生きがいとか生の実感とか、そんな事を感じ取れない無味乾燥な日々に自分を頭の天辺まで埋めて窒息死しようとしている。自分自身で自分を生き埋めにしている。それは緩慢な自殺だ。どうせ死ぬなら、自殺するなら自分勝手な事を全部やらかした果てに死んだ方がいいに決まっているのに。その方がまだ正直だ。自分の命に対して。自分の欲望に対して。

 でも、それが自分には出来ない。もう、出来はしない。

 若い頃なら出来たのか。それともこんな性格に育った時点でもう無理だったのか。それは分からない。でも、この小説を読んでなぜだか泣きそうになっている自分は、自分の生き方を悔いているらしいのだ。虚しいと感じているらしいのだ。本作で主人公のヘイウッドは廃棄指定済みの円柱型コロニーの内側で、ホバーバイクに跨り、人工太陽の周りを飛び回る。何の生産性もない。将来の展望もない。しくじったら死ぬかもしれない。というかこんな事を続けていたら間違いなく自分が死ぬか誰かを殺す羽目になる。実際同じ様なバイク乗りが何人も死んでいるしこれからも死んで行くだろう。それが分かっていてもやる。それは馬鹿だからという訳じゃない。今の自分はそう思う。

 真面目だけが取り柄の自分の生き方は賢い訳じゃない。賢しいだけだ。

 ヘイウッドは一見馬鹿な事をしている様に見えるかもしれない。自分に正直なだけだ。

 自分は自分に嘘を吐く様にして社会と折り合いを付けて来た。これまでもそうだしこれからもそうだろうと思う。でも本当は息が詰まりそうだ。吐き気を催す位『生き苦しい』んだ。ここは地球で、密閉され朽ちて行くコロニーの内側じゃない。それでも自分が自分の手で規定した檻の中から抜け出せないでいる。社会規範とか常識とか他人への配慮とか、そんな見えない壁がそこら中にあって真っ直ぐに歩けない。窮屈で、どこにも行けなくて、先がない。居場所がない。目指すべきゴールがどこにも見付からない。

 読後感で「痛みと吐き気を感じました」などと言ったら普通は褒め言葉にならないだろう。でも今の自分はそれを褒め言葉として使いたい気分だ。それは本作が自分に刺さったという事だから。ラブレスのヌードマークを背負ったスピアポイントのナイフの様に突き刺しに来る。刃ではなく言葉で。だからこの感想は突き刺された奴の呻き声だと思えばいい。

 痛いという事はまだ死んでいないという事だと思いたい。

 つまるところ、この一見本の感想の様な呻き声はそういう単純な話なのだろうと思う。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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