ミサイルが放たれた今日と、宇宙に飛び立つ明日に・牧野圭祐『月とライカと吸血姫』

 

 今日、北朝鮮が弾道ミサイルの発射実験をした。ミサイルは北朝鮮の内陸部に落ちたとされ、国内では東京メトロが安全確認の為、一時運転を見合わせる事態になった。朝起きてそのニュースを見て、一応の安全が確認されている事を知った後で自分がした事は、有事に備えて生活必需品を備蓄する事でもなければ、いざという時の為に身の安全を確保する為の行動を再確認する事でもなく、本作を読み始める事だった。

 史実における米ソの宇宙開発競争。東西冷戦下で繰り広げられたそれを、ソ連側の視点から、吸血鬼と呼ばれる架空種族の存在を織り交ぜて再構築したのが本作だ。人類初の有人宇宙飛行をどちらの勢力が先に成し遂げるのか。その競争の中で、史実におけるソ連=ツィルニトラ共和国連邦側では、人間を乗せる前段階として吸血鬼を使う『ノスフェラトゥ計画』が立ち上げられる。仮に失敗しても痛手ではなく、成功したとしても『人類初』の有人宇宙飛行の栄冠は吸血鬼に与えられる事はない。

 かくして吸血鬼の少女、イリナと、そのお目付け役として彼女を監督する様に命じられた宇宙飛行士候補生の青年、レフは、それぞれの思いを胸に宇宙を目指す事になる。

 本著はボーイミーツガールの物語として、また宇宙開発を題材とした物語として王道とも言える展開で、読後感も非常に爽やかだ。だからこそ自分達の生きるこの現実に覆い被さっている諸問題が浮き彫りになる。

 本作でも語られる様に、有人宇宙飛行の為のロケット開発とは即ち、弾道ミサイルの開発と同義だ。かつての東西冷戦下で宇宙開発が進んだのは、それがミサイル開発競争でもあったからだし、人工衛星を打ち上げる技術の確立は、星の世界に探査機を飛ばすというロマンではなく、スパイ衛星を使って軍事的優位を得るという実利の為にこそ必要だった。

 人類が、その持てる技術と資金を調和と協調の為に、平和の為に使えていたら、もっと宇宙開発は進んでいたのだろうか。それとも、軍事技術の開発競争という負の側面があればこそ宇宙開発は進んだのか。現実的に見れば後者が正しい認識なのかもしれない。

 日本では、日本学術会議が「軍事目的の科学研究をしない」という態度を貫いて来た。しかし、科学研究や技術開発とはどこまでが平和目的で、どこからが軍事目的だという線引きをする事が難しいものでもある。GPSの様に軍事技術が一般化したものもあれば、逆に平和利用の為のロボット技術が偵察ロボットやドローンの様な物として軍事転用されて行く事もある。政府や軍関係から、或いは兵器開発会社から資金供与を受けていなければその研究がシロであるというものでもないだろう。グレーな領域というものはやはり存在する。

 例え話をするなら、自分はアウトドアで使う様なナイフを持っている。それは料理をしたり薪を調達したりする目的で使用している間は『道具』だ。でもナイフは、人に向けた瞬間に『凶器』になる。道具が変わった訳ではない。使う人間の側が考え方を変えただけだ。

 本作の主人公であるレフもイリナも、その他宇宙開発に携わる研究者や宇宙飛行士の候補生達も、皆その事には気付いている。自分達が宇宙を目指す為のロケットは、誰かの頭上に落とす為のミサイルでもある事。宇宙開発が平和な競争ではなく、軍事的優位を得る為の、ある意味での生存競争でもある事。顔も名前も知らない『敵』に勝つ為に、『国家』という巨大な枠組みによって突き動かされる様にして人が動く。自分達の夢も理想もその現実の枠組みから自由ではないという事を。

 現実の汚濁を知りつつも、その中で夢を叶えようとする事。差別や偏見といった根深い問題を乗り越えて、相手を思う事。その為の物語を読む側の自分達に突き付けられているのは、果たして現実の自分達に同じ事が可能かという事だ。今現実にそこにある悪意、特定の集団に対して煽られるヘイト、自国第一主義。そういったものから離れられるのかどうか。手放せるのかどうか。手にしようとする技術を正しく人々の幸福の為に用いる事が出来るのかどうか。

 その終わりなき問いを前にして、自分達の現実は続く。
 ミサイルが放たれた今日も。いつか誰かが宇宙に飛び立つ明日も。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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