本能の飢えと感情の飢えの狭間で M・R・ケアリー:著 茂木健:訳『パンドラの少女』

  

 教室の中に、子供達と女性教師がいる。一見和やかな授業風景。しかしよく見れば、子供達が腰掛けているのはなぜか皆車椅子で、その手首や足首、首までもがストラップで車椅子に固定されている事が分かる。授業を受ける間、彼等が身動き出来ない様に。その徹底ぶりは教育や躾、或いは体罰や虐待といった範疇に収まらない、ある種の『恐れ』を感じさせる。

 肉食の猛獣と同じ檻に入れられて平静を保てと言われたとして、誰がそう出来るだろうか。しかもその獣が常に飢えていて、新鮮な肉=自分に食らい付く瞬間を待ち望んでいるとしたら? きっと獣に首輪を付け、鎖で繋ぎ、その口に拘束用の口輪を付けさせでもしない限り近寄る事は出来ないだろう。

 この教室に漂う『恐れ』は、その種の恐れだ。命を脅かされる事への恐れ。自分の身体を獣に食い荒らされる事への恐れ。大人達は知っている。この一見無垢に見える子供達の瞳が、一度飢えに支配された時には獲物を狙う眼光鋭い獣のそれになり、今は愛らしい言葉を紡いでいるその口が、無慈悲に肉を噛み千切る為の牙をむき出しにするという事を。

 彼等は人間ではない。<餓えた奴ら(ハングリーズ)>なのだから。

 感染した人間を<餓えた奴ら>に変えてしまう奇病が蔓延し、世界は滅亡の危機にある。<餓えた奴ら>はまるでゾンビの様に獲物を貪り、肉を食らい、血をすする。人間らしい知性や判断力を失った代わりに匂いや音に敏感で、一度獲物の気配を察知すると全速力で走り出し、獲物を捕らえるまで立ち止まる事は無い。そして唾液や血液を介して<餓えた奴ら>を増やして行く。都市部では瞬く間にパンデミックが発生し、一部<餓えた奴ら>の侵入を逃れた街に生き残った人間が籠城して暮らしている。

 人間を<餓えた奴ら>に変えるものは何か。感染を防ぐ方法はあるのか。治療法は? その謎を解明しない限り、人類に明日はない。そんな中、ロンドン北の軍事基地には特別な子供達が集められていた。<餓えた奴ら>になりながらも知性を失わず、人間と言葉を交わす事も出来る奇跡の子供達。荒廃した都市で発見され、捕獲された彼等はどの様に発生したのか。通常の<餓えた奴ら>と子供達を分かつものとは何なのか。それを明らかにする為、大人達は教育を施し彼等を育てる一方、必要とあらばその脳を摘出して切り刻む。

 人類を救うという大義の為に繰り返される人体実験。その一方で『餓え』を除けば何ら人間と変わる事無く成長し、学習し、感情を持つ<餓えた奴ら>の子供達。この物語は、そんな子供達の一人である少女、メラニーを主人公として描かれる。

 メラニーは優しいジャスティノー先生の事が大好きだ。一方で彼女は<餓えた奴ら>でもある。だからメラニーにとって先生は肉であり獲物でもある。本心では先生ともっと触れ合いたいが、近付き過ぎて先生の肉としての匂いを嗅ぎ取ってしまったら、今度は本能が先生の柔らかい肉を求めて牙を剥くだろう。そこには愛情に対する飢えと、文字通り肉を求める飢えが共存している。

 人間としての理性と、<餓えた奴ら>としての本能に苛まれながら生きる事になるメラニーの姿は、他のゾンビものと比較すると特異な緊張感を生んでいる。本作は『ディストピア パンドラの少女』という題名で映画も公開されるという事で、映画の予告を見ると大まかな雰囲気が掴めるかもしれない。

 


 このまま世界は終わるのか。人類が生き残る術はないのか。そしてメラニーの運命は、という所で、小説としても読み易く、上下巻構成の文庫版も一気に読み切る事が出来た。小説を読んでから映画を観るか、映画を観てから小説を味わうか。いずれにしてもお勧めできる作品だと思う。

  

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon