人は自らをどう定義するのか・神林長平『フォマルハウトの三つの燭台 〈倭篇〉』

 

 昔ある人に「SFが好きだ」と言ったら、古典作品の未読の多さを指摘されて「その程度でSF好きだなどと言ってはならない」的な事を言われた話は以前ここに書いた様に思う。当時の自分は「やはりSFファンというものは軽々しく名乗ってはならないのだな」と敷居の高さを感じたのだけれど、それでも敢えて「自分がSFを好きな理由」を語らせてもらえるならば、そこには『今の自分が思いもよらない視座や気付きを与えてくれる』という点がある様に思う。

 近年、AIの発展は目覚ましいものがある。身近なニュースとして、囲碁の世界では人間のトップ棋士でも敵わない様なAIが誕生してしまった。
 AIは人間を超えるのか否か。いわゆる『シンギュラリティ(技術的特異点)』は来るのか来ないのか。様々な意見がある。間もなくシンギュラリティの時は訪れ、人間の職をAIが奪う様になるのだと主張する人もいれば、いや、そんなものは恐れるに値しない杞憂なのだとする人もいる。確かなのは、今後ともAIは各種産業分野のみならず、自分達の生活にも浸透して来るのだろうという事だ。そこまでは、日々のニュースの中から得られる視座である。

 『IoT(Internet of Things)』という言葉も一般的なものになった。『IoT家電』という言葉で、冷蔵庫やらエアコンやら電子レンジといったものまでがネットワークに接続される。自動車は自動運転技術の制御下に置かれる様になるだろう。確かに便利だ。例えばクラウド上からレシピを取得してお勧めのメニューを提示してくる調理家電を余計なお世話だと感じないのなら。

 人と家電のコミュニケーションも今はスマートフォン等のツールを介しているけれど、今に直接AIと会話する様になるだろう。というか、今でも自分達はスマートフォンの音声認識機能を使ってネット検索をしたり、コンシェルジュ機能を使ったりしている。ただ、これが本作『フォマルハウトの三つの燭台』で描かれる様なSFの世界に到達するとどうなるか。そこでは「ある日唐突にトースターが自殺をする」という問題が発生する。

 自殺したトースターとは、食パンが2枚焼ける、あのトースターだ。それにAIが搭載され、持ち主の好みに合わせた食パンの焼き加減を学習し、持ち主と音声でコミュニケーションを行う。他の家電に搭載されたAIとコミュニケーションを取り合い、時として人が「職場の人間関係」という問題を抱える様に、他の家電達との機能衝突を引き起こしたりもする。この様な世界では「たかがトースターにそんな高尚なAIが必要なのか」と言えば「トースターの機嫌を損ねる」かもしれず、ある日突然喋らなくなったトースターを前にして持ち主が「もしかするとトースターは自殺したのかもしれず、その責任は持ち主である自分の態度にあったのではなかろうか」という悩みを抱える事になる。

 これは笑い話ではない。いや、一見して笑い話である事を否定はしないが、事は『人間とは何か』という『人間の尊厳』に関わる問題だ。これがSFがもたらす、新しい視座だ。

 喋る機械は最早珍しくもない。けれど自分達は喋る機械が全て人間と同等であるなどとは決して思わない。それは言葉でコミュニケーションが取れるだけの、ちょっと便利な電化製品の域を出ないだろう。今はまだ。けれど、このままAIが発達して行き、持ち主に使われる事で個性を獲得する様になった時、(それが人間の個性とは全く異なる、擬似的なものに留まるのだとしても)自分達は少しずつ「自分専用」になって行くそれらの家電と「人間関係」と呼べる様な関係を築く様になるのかもしれない。例えばトースターの死を気に病む様な。

 そうなってくると問題は、AIがシンギュラリティを迎えて人間を超えるか否かという問題以前に、自分達の認識が新たになり、「AIを人間と同等の人格として扱ってしまう様になるか否か」という問題が発生する事になる。

 それこそもう20年程前に「将来的にメイドロボって実用化されるのかね。まさかね」みたいな話をしていた自分達がいかに能天気だったかという話になる訳だが、人間の感情を理解し、人間と同様かそれ以上の知能を有するAIが現れなかったとしても、人間と言葉でコミュニケーションを取る事ができ、それらしい返答をするAIが現れた時点で、自分達はそれをひとつの人格として扱ってしまうのかもしれない。たとえそれが食パンを焼く機能しか持たないトースターであったとしても。

 この物語は、その様な『人間側の認識の変容』をひとつのテーマにしている。自分が見ている世界のあり方。人格というものに対する認識。自己というものをどう定義するかという問題。それらを人間ではない存在の視点を通して描く事で自分達に気付かせる。

 人間と似た存在が表れる時、人はいかに『人間』というものを定義し得るかという問題は、これまでも繰り返し語られて来た主題ではある。しかし今、高度化されたAIが自分達の生活に浸透して来ようとする時に、再びこの主題について語り直す事が求められるのかもしれない。自分達はどこから来て、どこへ行くのか。人間を人間たらしめているものとは何か。その問いに答える事は難しいのだとしても。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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