走り続ける、その力強さ・竹宮ゆゆこ『おまえのすべてが燃え上がる』

 

 愛人関係を持っていた男の妻が、刃物を持って後ろから追い掛けて来る。ターミネーターT-1000ばりの走りで。捕まったら間違いなく殺されると思いながら、下着姿に裸足のままというなりふり構っていられない状態で逃げるのが本作の主人公である樺島信濃だ。なかなかロックだなと思う。いや、自分がロックの何を知っているという訳じゃないけれど。

 思えば『知らない映画のサントラを聴く』の時もそうだったけれど、竹宮ゆゆこ氏の描く女性は『走っている』気がする。いや、愛人である事がばれて刃物を持った奴に追い駆けられれば誰でも死ぬ気で走るだろうが、そういう事だけじゃない。生き方が、走っている。

 かく言う自分はこのところずっとうなだれて歩いている。緩やかな上り坂をずっと上らされているみたいだ。坂の終わりも見えないし、なぜ歩いているのかも分からなくなりつつある。疲労と徒労感が足を重くさせる。ただ立ち止まる事は許されていないので(誰に?)仕方なく歩を進める。毎日。とぼとぼと。

 この道は間違っているんじゃないか。自分は間違った生き方をして来たんじゃないかという恐れがいつもつきまとう。じゃあ反対に、『正しい生き方』ってどんなのだよ、というと、分からない。ただこの分からない、というのも言い訳で、本当は皆分かっているのだろうと思う。

 誰でも自分の居場所が欲しい。自分を肯定してくれる誰かが隣にいて欲しい。

 自分の存在を受け止めてくれる誰か。自分はここにいてもいいんだと思える居場所。それを手に入れたくて、手に入れられなくて、皆もがいているんじゃないか。そんな気がする。

 誰かの愛人になって、買ってもらったブランド物で着飾って歩いてみる。それも確かに必要とされる、という事のひとつの形かもしれない。でも、相手には家庭があって、自分が代わりに収まる事が出来ないたったひとつの場所には、もう他の誰かがいる。本当に必要とされている誰かが。愛人には代われない誰かが。じゃあ自分の居場所はどこにあるのだろう。本当の居場所は。

 “ここではないところに、ちゃんと私のおしろがあってほしい。誰にも奪われない、本当の私のおしろがほしい。ほしい、ほしい、ほしい、ほしいほしいほしい。わたしのおしろはどこにあるの。わたしはおしろにかえりたい。”

 本作で信濃は、心の中でそう叫ぶ。彼女が探すおしろは――居場所はどこにあるのだろう。そして、そんな信濃が再会する事になる旧友、醍醐健太郎もまた、同じ様に居場所を探している。

 二人は似ている。婚約が破談になって傷を抱えている所とか、お互いがすぐ近くにいるのに、いや、近くにいるから気持ちがすれ違ってしまう所とか。気が合わないという訳じゃない。好意がない訳でもない。でも、タイミングとか、距離感とか、そうしたものの違いが、時に二人を遠ざける。物語の必要性からそうなっている訳じゃなく、本当にそうした事はあるんだろうと思うけれど、二人が立っている場所は、なかなかひとつに重ならない。

 欲しいものは分かっている。望むべき生き方も見えている。でもそこに辿り着けるかどうかというと、道はそんなに真っ直ぐには繋がっていない。道は曲がりくねり、アップダウンがある。分かれ道があって迷いそうにもなる。

 その道を、走る。

 信濃の中に眠っている強さは、そこにある。迷いもするけれど、こうと決めたら走り出す事が出来る。止まらずに走り続ける事も出来る。時にうなだれたり、立ち止まったりする日があるかもしれないが、いつまでもそのままではいない。立ち上がって、走る。そういう強さを、信濃は持っている。誰かが自分の居場所を作ってくれるのを待ってはいない。依存できる相手を探している訳でもない。自分の居場所には――本当の私のおしろには、自分で辿り着かなければならないから。

 小説だから。物語だから。登場人物の人生の「山あり谷あり」も演出の内だよ、とドライに見る事も出来るかもしれない。でも、信濃や醍醐の人生の「ままならなさ」は、多かれ少なかれ皆どこかで感じる類のものなんじゃないかと思う。仕事が上手く行かない。人間関係でストレスを感じている。孤独感を感じる瞬間がある。そんな人生の躓き。疎外感や虚しさ。そうしたものと向き合う姿を見る事は、時に自分を見る様ではっとさせられる。

 竹宮ゆゆこという作家の特異性は、そうした重くなりがちなテーマを軽妙な語り口で物語にしてしまえる所だと思う。読んでいて笑える展開も多いし、さらりと読めてしまう。ただ、軽すぎるという事もなく、シリアスなシーンは鋭く胸に迫る。それでいて全体の読後感は軽やかで、疾走感がある。信濃は走り続ける。その力強さは自分にはないもので、だから自分は彼女の人生の紆余曲折と、それでも走り続けようとする姿勢を好ましく思うのだろう。きっと。
 
 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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