それは逃走か、前進か・上遠野浩平『ブギーポップ・ダウトフル 不可抗力のラビット・ラン』

 

 他人は自分が思う程には自分の事を理解してくれていないものだと思う。それは裏返せば自分もまた相手が思う程には相手の事を理解できていないという事で、つまりは何が言いたいかというと、相互理解の難しさとか、誤解とすれ違いの悲しさとか、そういった細々としたものが積み重なった先にある、もっと漠然とした、「生きるって難しいね」という事だったりする。

 個人的な話をすれば、精神的にちょっと弱ってしまって、最近会社を辞めた。そして受け持っていた仕事の引き継ぎの中で「君がこんな面倒な仕事をしていたとは思わなかった」的な事を何度か言われた。自分は仕事の内容に文句は言わない方だ。やれと言われれば何でもそれなりにやる。それが他人から全く注目も評価もされない類のものだとしても。

 不満が無い訳じゃないし、評価されたいと思わない訳でもない。割を食っても平気な訳じゃないし、この通り、精神的に強い訳でもない。でもそれらを口にするのはなぜか憚られる。

 こうしてみると自分は犬というよりウサギの様だ。もっとも、あんなに愛らしくはないが。

 ウサギは寂しいと死んでしまうという。でもそれはもののたとえであって、本作のあとがきで触れられている通り、本当は体調の変化や不調を表に出さない生き物であるが故に、さっきまで元気にしていた(様に見えた)のに、少し目を離したら死んでしまっていた、という事がままあるからなのだそうだ。なぜウサギがそんな習性を身に付けてしまったのかはそれこそ知る由もないが、精神的に折れるまで何の文句も言わず働いていた自分の姿を見ていた周囲の人達も、死んでしまったウサギの飼い主と同じ様な気持ちになった事だろう。今思えば申し訳ない事をしてしまったし、迷惑を掛けてしまったと思う。

 他人は自分が思う程には自分の事を理解してくれていない。

 きちんと言葉にしなければ、態度で示さなければ伝わらないものというのはあって、自分の様な人間はその事を知っている筈なのに、それが上手く出来ない。お互いに腹を割って、自分の中にあるものをさらけ出せば解決したかもしれない問題は世の中に山程あるのだろう。でも自分がそう出来なかった様に、相手もまた同じ様な不器用さを抱えているのかもしれない。

 自分もまた相手が思う程には相手の事を理解できていない。

 この事を、「人間は決して相互理解出来ない悲しい生き物なんだね」という様な言葉でくくってしまって、諦めてしまう事が出来れば逆に楽なのだろうと思う。人はどうしたって分かり合えないし、そんな人間が集まって集団を作ったところで全てが上手く行く筈もない。むしろ無理解とすれ違いが常態なのであって、その中で自分が少しでも有利なポジションを確保する為にどう立ち回るか、どうやって相手を出し抜くかという話でしかないのだと割り切れれば、少なくとも他人に理解して欲しいのに無理解に苦しめられるという悩みは抱えないで済む。ただ、そうした現実的な割り切り方を「理解できる」事と「実践できる」事は別問題で、多くの人はやはり他者からの承認を求めているし、自分さえ良ければそれでいいというほど自己中心的にもなれなければ、独立独歩を貫ける程強くもないのではないか。

 自分達は多分皆ブレている。

 周囲に左右されない、強く、自立した、揺るぎない、確固たる強さに憧れる一方で、他人から認めてほしいとか、褒められたいとか、理解して欲しいという淡い希望を諦め、捨て去る強さを持てない。一番にはなりたいかもしれないが、孤独にはなりたくないとか、他人から共感してもらいたいが、特別な存在にもなりたいとか、常に揺れ動いている。ブレまくっている。そのブレの幅、心の振れ幅の様なものに、自分達は常に影響されている気がしないでもない。時に自覚的に使いこなし、時に無自覚に振り回されながら。

 自分は何者になりたいのか。どんな自分であれば満足する事ができるのか。自分自身が自分の価値を認める事さえ出来れば良く、周囲の人間からの評価などどうでもいいと開き直れるのか、それとも周囲に認められる事でやっと自分の存在意義を見出だせるのか。どちらの価値観が正しいのか、またどちらも間違いなのか。或いはどちらも正しく、時として両者が入り混じっているのか。それも含めて、自分達はきっとブレている。たったひとつの、誰が見ても間違いのない、疑い様のない価値観や正解などという便利なものは、多分どこにもない。

 そんな中で生きて行く自分達は、まるでウサギの様に、他の獣に捕食されない為に絶えず周囲を警戒し、ビクビクしているかと思えば、痛みを表に出さないように平気なフリをしてみせたりもしている訳で、強いのか弱いのかもはっきりしない。そのラビット・ランは、何かから逃げている様でもあり、どこかに進んでいる様でもある。全くもってブレている。でもそのブレが生きているという事なのだとすれば、その走りを、自分達は続けて行くしかないのだろう。きっと。

 (逃げている事のツケに追い付かれる恐れからは、どうやって逃げれば良いと思う?)
 (それこそ平気なフリで、自分は前に進んでいるって事にするしかないんだよ、きっと)

 BGM “Leaving Without Us” by MONOEYES

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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