長いお別れ

 昨日の夜、母方の実家の祖母が亡くなった。老衰による大往生だった。

 病院に入院したまま死を迎える人が多い中で、祖母は自宅で逝く事が出来た。殺風景な病室ではなく、自宅で、家族や親類に見守られて逝く事が出来たのだから、祖母は幸せだったのだろうと思う。
 自分達が行った時には既に息を引き取った後だったが、その顔は安らかだった。最後も苦しむ事なく、静かに逝ったそうだ。手に触れると、まだあたたかかった。

 徐々に冷たくなっていく祖母の手を握りながら思った。『ちゃんと生きる』という事がどれだけ難しいか。

 何も社会的に成功するとか、有名になるとか、そういう事ばかりがちゃんと生きるという事なのではない。それは多分、自分に与えられた命を、どんな形であれ最後まで生き抜くという事だ。祖母はそれをしっかりやってのけた。流石だ。
 自分は不器用だから、ともするとちゃんと生きる事が出来ないんじゃないかと思う時がある。
 単純に、生きて行く事はそれだけで大変だし、自分の様なひねくれた思考回路をした人間は他の人が難なく超えて行く様な障害物でいちいち躓く。そんなだと、『ああ、自分って全然成長してねーな』と思う。歳だけは三十路越えたけどさ。

 でも、こうも思う。少なくとも、人の死を何とか受け止める事は出来る様になったなと。

 父方の祖母が亡くなった時、自分は小学校低学年だった。自分は特におばあちゃん子だった事もあり、それはもうこの世が終わったかの如き有様だった。その時の自分には人が死ぬという事が理解できなかった。知識としては当然知っていたけれど、そんな悲しい事が自分の大事な人にも起こってしまうんだという事が、全く想像出来ていなかった。

 結局自分は数日間ただ泣き喚き、ろくに『お別れ』も出来ないままで、祖母は遺骨になり、墓に入った。骨を拾う事も出来なかった。今ではそれが酷く悔やまれる。

 だから昨日、母方の祖母とのお別れを済ませた時に、その死を自分の中で受け止める事が出来る様になっていた事に気付いて、それだけはまあ、成長したのかもしれないと思えた。まあ単に感受性が磨耗したのかもしれないけれどね。

 長いお別れだ。再会があるのかどうかもわからない。死後の世界は、それこそ小さい頃は信じていたけれど、今はどうなんだろう。もうわからなくなった。でも自分もどの程度先かはわからないけれど、そのうち向こう側へ行く時が来るんだろう。その時、『不器用だったかもしれないけれど、ちゃんと自分なりに生き抜いたぞ』と言えるだけのものを持って逝けるだろうか。先に逝った人達の隣に、ちゃんと並ぶ事が出来るだろうか。いや、そうならなければいけないなと思う。

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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