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ライトノベルの表紙イラスト規制・ゾーニングを求める人へ

 事情があって読書から離れている間に、Twitter上で「ライトノベルにおける表紙のポルノ化」が話題になっていて、賛否両論が巻き起こってしまっていた。大本のツイートをそのまま引用すると下記の通り。




 これ、写真を見ると『境界線上のホライゾンXI<中>』の事を指して言っているのかなと思うのだけれど、イラストレーターであるさとやす氏の画風に慣れていると特異性を感じない事が、見慣れない人からすれば「自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる気持ち悪さ」「それを子供の眼前に公然と並べる抑圧はほとんど暴力」という事になり、ひいてはそれを問題視していないライトノベル読者並びに出版業界は感覚的に麻痺してしまっているのであって異常である的な論調に繋がってしまっているのかなと察する。

 最初の問題提起が「(主に)男性による女性の性的消費」という最大限に膨らませたテーマで行われた為に、ライトノベルの読者以外にも幅広い方々が論戦に加わってしまい収拾不可能のまま投げっぱなされている印象だ。これでは「(ライトノベル読者を含む)サブカル層と出版業界は女性の性的消費に無批判であるばかりかむしろ積極的にそれで商売をしている」といった様な偏見が広まってしまいそうで危うい印象を受ける。

 自分は一介の本読み(男性)として思うのだけれど、「まずあらゆる商品はマーケティングの上に成り立っている」という一般論があって、それは本件でも同じだろうと思うのだ。ライトノベルの表紙に女性キャラクターが目立つ理由は、いきなり「(主に)男性による女性の性的消費」という大テーマを持ち出さなくとも説明が付く。本件はまず「商品の売り出し方」「顧客を惹き付けやすい表紙デザインの変遷」というマーケティング論的な小さいテーマで考証すべきであって、多数を巻き込むジェンダー論的な「ポルノを消費する男性の無神経とそれを咎めない男性中心社会がけしからん」とか「それを見たくない子どもの眼前にわざわざポルノを陳列する大人達の狂気」といった様な炎上しやすいテーマから切り込んでも騒ぎが大きくなるだけで実りがない様に思われるのだ。

 そもそも、ライトノベルの表紙デザインの変遷について自分は確固たるデータを揃えている訳ではないので適当な事を言う訳にも行かないのだけれど、ライトノベルが「キャラクター小説」とも言われる様に、登場人物を魅力的に描き出す事で人気を博しているジャンルである事、そして表紙絵や挿絵が入る事によって一般文芸等よりも作品の人気にイラストが寄与する部分が大きい事は「ライトノベルの表紙にキャラクターが(男女問わず)大きく描かれる事が多い理由」のひとつである。作品の中で重要な位置を占めるキャラクターが表紙を飾る事に違和感はないだろう。

 次に考えるべきは「ライトノベルの表紙における男女比」ではないかと思うのだが、あくまで顧客として書店の陳列棚等を見た場合の印象という事で良ければ、確かに女性キャラクターが多い印象を受けるし、今回の問題提起をした元ツイートの写真を見てもその様に見える。単純に表紙絵の男女比だけを見た場合、出版業界が「男性キャラクターを表紙にするよりも、女性キャラクターを表紙にした方が売上が良い」というデータを持っているのかどうか定かではないが、結果としてはそうなっているという事だ。ただ、表紙絵の男女比に偏りが見られるという事は何も「女性キャラクターの表紙の方が売れるから」というざっくりしたマーケティングのみによるものではないと考える。ライトノベルは小説であってイラストや写真のみで構成されたポルノ雑誌ではないからだ。

 ライトノベルはキャラクター小説でもある。作中で魅力的なキャラクターが活躍し、表紙にもそのキャラクターが描かれる事は常であるのだから、表紙を女性キャラクターが占める割合が多いという事は、小説の中でもそれだけ女性キャラクターが重要な役割を占め、活躍しているのだという様に取る事も可能だ。これは個々の作品に対する内容の検証が必要な部分であり、表紙絵単独であれこれと論考できる部分ではない。
 余談ではあるが、作品の内容という事で言えば『境界線上のホライゾン』は「ブックエンドが無くても本の厚みで自立する」程分厚く文章量の多い文庫であり、レーベル内での人気も高くアニメ化も行われ、幅広いファンを獲得している作品である。当然その中には女性ファンもいる。作品の内容までがポルノ的であり女性の性的消費を助長する描写に終始しているというものではないだろう。

 ここまでを前段とした上で、ようやく『ライトノベル表紙のポルノ化は事実か。事実であればそれは是か非か。規制はどうすべきか』という本題に入る事ができる訳だが、自分は「ライトノベルを出版する出版社が意図的にポルノ的な表紙を作成して男性の性的欲求に訴えようとしている」とは考えていないし、男性読者の多くがライトノベルにポルノ要素を要求しているとも考えていない。ただ、「表紙を女性キャラクターが飾る事が多くなった結果として、他の本との差別化を図る為に女性キャラクターの描かれ方が多様化して行った可能性」はあると思っている。

 同じ様に女性キャラクターが表紙に描かれている本が2冊並んでいたら、(小説の内容以前に)初見で手に取ってもらうにはどんな表紙にするべきか。少なくとも比較対象と同じ様な構成では新味はないし、その他大勢的な埋もれ方をしてしまう。だから魅力的かつ個性的な絵を書くイラストレーターが求められるし、誰に向かって売ろうとしているのかというマーケティングも重要になってくる。この小説を、物語を読んで欲しい読者としてどんな年齢層、人物像の読者を想定しているか。その結果として表紙絵の方向性も変わって来るだろうと思う。

 問題があるとすれば、上記を全て踏まえた上で、それでも「出来上がってきたものが(主に女性から見た際に)ポルノ的であるとみなされる場合」だと思うのだけれど、例えば(外部による)表現規制、自主規制、意見として多く聞かれたゾーニング(成人向け書籍同様売場を分ける)等を個々の作品に対して求めて行くとして、素直にその要求が受け入れられるかというと否ではないかと自分は思う。それは「男性優位社会の弊害」でもなければ「出版業界のモラル欠如」でもなく「発信者がポルノのつもりで作っていない作品に対して、外部からポルノ認定をして規制やゾーニングを求める事の困難さ」なのではないかと思うのだがどうだろうか。

 実際に近年ある女性芸術家が自らの女性器を型取りして作った作品を公開したり、女性器の3Dデータを配布したりした際に「それらはわいせつ物か、芸術作品か」という事が散々議論され、大揉めに揉めた挙げ句決着しなかった事があった。作者本人も逮捕されているが、裁判では無罪を主張している。作り手にポルノの意図がないものを、(極論すればそれが性器そのものの形をしたものであっても)外部からの指摘でポルノやわいせつ物として認めさせ、何らかの規制を受け入れさせるというのは並大抵の事ではないという事だ。実際に作者が逮捕され、裁判沙汰になっても自らの主張を曲げなかった前例がある訳だから、外部からの圧力によって表現規制やゾーニングを求めて行く方向性は難しいのではないかと思う。

 次に自主規制に関して言えば、自主規制のラインは時代の変遷と共に変化するものでもあり、今回の事例で言えば「女性が見た際に不快に感じる可能性がある性的表現のレベルを決めて、ボーダーラインを超えた絵については成人指定した上でゾーニングするか絵そのものを修正させる」という方法が取れるのかどうかという問題もある。「はっきりした成人指定までは行かないけれども書店側が配慮して子どもが立ち寄る可能性がある漫画売り場等から該当のライトノベルを遠ざける」等の方法もあるのかもしれないけれど、ライトノベルというジャンルは今や盛んにコミカライズが行われている事もあり、漫画との親和性が高い。多くの書店では売り場も漫画売り場のそばが定位置であり、そこから該当作品だけを隔離するのか、ライトノベルのレーベルごと移動させよという話になるのかは議論が必要だが、いずれにせよ実現するだろうか。

 個人的にまだ実現の可能性がある方法として、「通常の表紙絵が描かれたカバーの上に、カバーと同じ大きさの帯を付けて売る」というのも考えてみたのだが、『文庫X』の様に(あれは全く違う理由で付けられた帯ではあるけれど)書店側の売り方の工夫として個々に対応するには限界があるし、表紙絵を完全に隠してしまう様な売り方は作品にとってもマイナスだと思う。理想を言えば出版社側が公式にカバーとして別の表紙絵が描かれた帯を付けた状態で出荷する事だけれど、帯用のイラストと本来の表紙用のイラストが必要になるのでコストはかかりそうだ。読者としては一冊の文庫で違った表紙絵が楽しめる事になるので上手くやれば販促になるかもしれないが、この辺りの自主規制案を安易に受け入れてしまうと「ほらやっぱりポルノの自覚があったんだよね」という話にもなりかねないから、今すぐ行えるという訳でもないだろう。男性向けグラビア誌で見かける(今もあるのかな?)袋とじの様な扱いになって「帯の下だからもっときわどい絵でもいいよね」となっては本末転倒という事もある。

 外部規制にせよ自主規制にせよ、新たな規制を設けるという事は、誰かがその規制値を超えていないかどうか個々の作品について判断しなければならないという事だ。それを自社なら、或いは業界団体なら誰がやるのか。規制値はどの様に、誰が決めるのか。今回の件で言えば胸が大きく描かれているさまが不快という事の様だが、個人の主観ではなく一般的な基準としてどの程度までなら許容されるのか。その基準を誰が認定するのか。そうした問題をひとつひとつクリアして行くのは言う程簡単ではない。

 以上を踏まえて、今消費者である自分達にできる事があるとすれば、「各々が自分が嫌う表現から逃げる術を身に着けておく」という事でしかないのではないかと思う。その上で何らかの規制を設ける事を求めるならば、まずは「ゾーニングが難しい販売形態で成人向け書籍を販売し続けるコンビニエンスストアの是非」(これは昔コンビニ勤務だった実体験から長々と語れる)といった個別具体的な問題から詰めて行くのが得策ではないかと思う。

 今回の様な小説の表紙にしろ、その他の表現にしろ、自分が受け入れられない表現というものは実は世の中に溢れていて、まずは自衛手段としてそれを避ける術を身に着けておかないといちいち傷付かなければならず大変な事になる。そもそも作り手がそうしたものを世に出さなければいいのだ、というのは正論の様に聞こえるが、結局は暴論になりがちだ。親として自分の子どもに見せたくない表現というものが目の前にあるとしても、その現状を変えて行こうと問題提起するならば、表現規制や性の消費という大きなテーマから語るのではなく、各論から入って個別具体的な解決策を模索する方が建設的なのではないかと自分は思うのだが、どうだろうか。

テーマ : 雑記
ジャンル : 日記

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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