FC2ブログ

無法者は綺麗事で着飾らない・江波光則『デスペラード ブルース』

 

 江波光則氏は、割と正直に小説を書いている様な気がして好きだ。

 一家惨殺事件に巻き込まれた殺人拳の使い手とか、権力者が子飼いにしている殺し屋とか、ヤクザとか、ノックアウト強盗とか、物騒な世界を描いている。自分の様におとなしく生きている人間には縁遠い、デスペラード達の世界。でも主人公をはじめとする登場人物達がどこか憎めないのは、彼等が語る価値観=作者の価値観に嘘がない様な気がするからかもしれない。

 小説家の力量を持ってすれば、大抵のものは「それらしく」書けてしまうと思う。
 例えば登場人物が平気で法を犯す様な悪人であったとして、作者が同じ様な人間でなければ真に迫る描写が出来ないというなら、物語の中からリアルな悪人が消えるか、現実に作者もまた悪人であるかの二択になってしまう訳だが、当然そんな事はない。

 悪人には悪人の価値観があり、その価値観に従って生きている。登場人物の行動に現実味を持たせるという事は、彼等が語る言葉や行動に現実味を持たせるという事であり、その発言や行動の元になっている「彼等の価値観」が、読者に対して説得力を持っている事が必要なのだろうと思う。その説得力を持たせる為の方法は多分ふたつに分かれる。

 ひとつは「作者自身はその価値観を信じていないが、想像力と技量で説得力を持たせる方法」であり、もうひとつは「作者もまたその価値観を(部分的に)信じているが故に、自然と説得力が生まれるという方法」だと思うのだ。そして本作は後者である様に思う。だから自分は冒頭で「江波光則氏は、割と正直に小説を書いている様な気がする」と書いた訳だけれど、当然これは、江波氏が悪人だという意味ではない。氏が見ているのは、もっと人間の本質的な部分である気がする。

 この話の前提として、というか小説作法として、自分が信じていないものを、あたかも信じているかの様に描くテクニックというのは、実際あるのだろうと思う。

 前もどこかで書いた様な気がするけれど、カード会社のキャッチコピーで「お金で買えない価値がある」というものがあって、でもその後には「買えるものは、○○カードで」と続く。こういう時、自分は意地悪な読み方をしてしまう人間なので「プライスレスな体験や時間や感動といったものはあるのだろうけれど、それを得る為にカード会社が後押しをしてくれるのは結局消費=お金を遣う事なんだよね」と思ってしまう。だからこのキャッチコピーを考えた人は、「お金で買えない価値」というものを、本当はどの位信じていたのだろう、と思う。視聴者に対してはテクニックで信じさせていたとしても。

 翻って、本作の冒頭のカラーページに書かれている様に“金は凄いな、と思わざるを得ない。金を払うと人生で結構困難な「好みのタイプの女による濃厚プレイ」が得られてしまうのは普通に凄い話ではないか。”と言われると、極めて即物的かつ品がない様に思われるだろうけれど、悲しいかな男としては頷かされてしまう。少なくとも、「お金で買えない価値」よりは信じられるし、リアルな手触りを感じられる。まあ自分の場合、実は風俗とか苦手なので自分のお金で行った事はない訳だけれど、確かにそうだろうな、お金は凄いな、と思う。

 話は逸れるけれど、自分が宮崎駿氏の『天空の城ラピュタ』で一番印象に残っているシーンは、他のどんな感動的な場面でもなく「パズーがムスカからもらった金貨を投げ捨てようとして、でも結局は捨てられない」場面だ。人間にとって、お金とはそういうものなんだと思う。「お金なんてたいしたことはない」と容易く言う人と、不本意な金だと思っていても捨てられない人と、どちらを信じるかと言えば自分は後者を信じる。

 話を戻す。作家としてのテクニックを駆使して、自分が全く信じていない価値観をそれらしく描く事と、自分の内面にある「悪い部分」「即物的な部分」「暴力的な部分」といった「人間の本質的な部分」を膨らませて、登場人物に投影して行く事が、結果として作品の完成度にどれだけの違いをもたらすのかは分からない。卓越したテクニックがあれば、自分が信じてもいないものを読者に信じ込ませる事だって出来るし、気付かせない自信がある、という作家もいるだろう。自分も優れた読者という訳ではないから、その違いを見抜く事は不可能かもしれない。それでも何となく、江波作品の登場人物達を見ていると、彼等の語る言葉には嘘が無い様に思うのだ。その時々の作者の思いや価値観、ものの考え方や信条といったものが垣間見える様な気がする。もちろん読者である自分が単にそう錯覚しているだけかもしれないけれど。

 デスペラードというと、「無法者」「ならず者」という意味だけれど、彼等の遠慮のない言動を自分が不快だと思わないのは、自分の中にもどこか本音では彼等に同調する部分があるからなのだろうと思う。建前や常識、社会通念上は好ましくないとされる事を彼等はしているかもしれないけれど、それは同時に自分が普段の生活の中で自らの能力の無さや臆病さを理由に抑え込んでいる行動かもしれない。自分の中にも「無法」への憧れはあるのかもしれない。縛られた窮屈さを日々感じているのかもしれない。そんな風に考えて行くと、金銭欲や権力欲、暴力で他者を屈服させたいと思う事、復讐心や殺意といった「綺麗事ではない感情」が自分の中にも確かにあって、それを飼い慣らす事で法を犯さない様にしているのだろうなという事が見えて来る。

 自分が法を守るのは常識人だからだろうか。善人だからだろうか。単に法を守り、法に守られる事を望んでいるからではないのか。臆病者だからではないのか。無法者の生き方と作者の視点は、そんな風に自分の中の偽善を指摘している様な気がする。

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

黒犬

Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
Twitter
リンク
RSSリンクの表示
Amazon