その首輪は外れない・虚淵玄『アイゼンフリューゲル』

 昔、首輪にリードを繋がれた状態で飼い主と散歩している猫を見た事がある。何故かこの小説を読んで、その時のザラザラとした違和感と、もう一つのあるエピソードを思い出した。

 本作は、世界初のジェット戦闘機を開発し、音速突破を目指そうとする男達の物語だ。世界観は概ね現実と変わらないが、ただ一つ、この世界の空には『龍』という覇者がいる。そして龍達は爪や牙といった力で争う事はせず、その優劣はただ『空を飛ぶ速さ』によって決定される。
 飛行機で空を飛ぶ人間もまた空の上では『どちらがより早く飛べるか』という龍からの勝負を受ける事になるのだが、レシプロ機の性能では最速の龍の足元にも及ばない。そんな中で、ジェットエンジンを開発し、最速の龍『帝凰龍』に勝負を挑もうとする人間が現れる。

 熱い話だ。だが、それだけではない。なぜ上で『ジェット機』ではなく『ジェット戦闘機』と書かなければならなかったかという部分に、この作品のもう一つの側面がある。それは当然ながら、戦争だ。

 作品世界では対立する二国間で緊張が高まっている。過去の戦争があり、現在の休戦状態があり、来るべき次の戦争を睨んでいる状態だ。そんな状態での航空機開発に軍が絡まないという事はない。最速を目指すジェット機には、男達の夢以外にも最新鋭戦闘機の試作機としての役割が背負わされている。純粋な男達の夢を支えるその資金の一部は軍から提供されたものであり、試作機も最終的には軍に引き渡される運命にあるのだ。その苦味が、本作を単なる御伽噺ではなく、ある程度の現実味を持った物語として引き締めている。

 ただ単純に、本作を『熱い男達の夢』だけの話にすることも出来たとは思う。それこそノンフィクションではないのだから、資金にしても『ビル・ゲイツや中東の石油王レベルの金持ちの道楽』みたいに現実離れした都合の良い設定にしてしまえば、もっとあっけらかんとした作品として書く事も出来た筈だ。ただそれをしない所が、この虚淵玄という作家のカラーなんだろう。

 一方、現実世界に生きる自分達の暮らしは、それはもうこの作品以上にがんじがらめだ。

 何かをしたいと思う。何かを得たいと思う。その度に何かが自分達の首輪に繋がったリードを引っ張る。『おいお前、それがしたいならこっちをこなしてからだ』『おい、お前は絶対そっちには行けないぜ』とばかりに。それは仕事だったり、何らかの責任だったり、社会的制約だったりするが、とにかく『手放しの自由』なんてものはこの世には無い。少なくとも人間社会には。

 自分が首輪にリードを繋がれた猫を見て感じた違和感は、結局『猫は犬と違って自由にそこらを歩き回ってるもんだ』という先入観でしかないのだけれど、結局猫にしても人に飼われている限りは手放しの自由を謳歌しているという事もない。多分そこには『普段目に見えない飼い主との関係があからさまになった』事への違和感があったんだろうと思う。

 そして、本作で『ただ何よりも速く空を飛ぶ』事だけを目指す彼等にも見えない首輪がはまっている。それは決して外れないし、無視する事も出来ない。そんな中で彼等はどう生きて行くか。またそれを読む自分達は現実をどう生きて行くか。
 以下続刊との事で結末は先送りされているのだけれど、期待して待っていたい。

 そしてもう一つ、自分が思い出したあるエピソードがあるんだけれど、それについては本作から少し外れた内容になるのでまた明日にでも。

 

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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