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貧者が支える貧困搾取型社会 ジェームズ・ブラッドワース:著 濱野大道:訳『アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した ~潜入・最低賃金労働の現場~』

 

 ちょっと試験的に感想の書き方を変えてみますが、気まぐれなので元に戻すでしょう。きっと。


<職業選択の自由が贅沢品になった社会で>

 何よりこんなタイトルの本を自分がAmazonのKindleで読んでいるという事が、既に何かの笑えない冗談だと思う。ちなみに原題は『Hired: Six Months Undercover in Low-Wage Britain』との事。『Hired』は『雇われ人』という様な意味らしい。

 著者はAmazonの物流倉庫や訪問介護の現場、またスマホアプリを利用したタクシーの配車サービスで急成長したウーバーのドライバー等、様々な業種に飛び込み、自らの体験と現場で働く人々の声を聞き取ってルポにまとめている。ただそれは邦題から連想される様な「大企業による労働者からの不当な搾取について断固抗議する」といった喧嘩腰のものではなく、もっと文学的表現に寄った形での問題提起だ。

 さて、自分が大学を卒業したのはもう20年近く前になる。その時、恩師は「仕事というのは自分の一生の中で多くの時間を費やすものになるのだから、自分が納得して働く事ができる仕事を選ぶべきだ」と述べた。同感だ。『選べるのなら、誰でもそうする』という意味で。当然恩師にしてもそんな事は分かりきっていて、「本当にそうできたら良いのにね」というニュアンスだったと記憶している。そしてそんな流れは現在に至るも何ら変わっていない。

 実際に自分が本当に望む仕事に就いている労働者なんて、この日本にどの位いるのだろうか。
 『職業選択の自由』は、庶民にとって既に贅沢品になってしまった。

 自国民の貧困層ですらその有様で、更にもっと低賃金で働く外国人労働者を受け入れ、これに頼る様になってしまったらどうなるのか。その答えの一端が、本著にはある。


<貧困搾取型の企業を貧者が支える>

 自分はAmazonのKindleで本著を読んでいる。そして邦題にある通り、本著はAmazonの物流倉庫で商品の梱包・出荷業務にあたるピッカーがどれ程非人間的な労働環境で働いているかを克明に描き出している。さて、ここから自分が取るべき行動はどんなものだろう。

 常識的に考えて、企業に抗議するのなら「今後Amazonは使わない」というのも手だ。でも決して豊かとは言えない消費者である自分には、それが本当に可能だろうか。

 顧客利便性の一環として、Amazonは本ならば送料無料で、仮に文庫本一冊だろうが自宅に配送してくれる。おまけに商品によってはポイントも付与される。ただその安いサービスを提供する為に、どこかにある物流倉庫では休憩時間も満足に取れない様な労働条件で倉庫作業員(ピッカー)が働いている(可能性がある)し、本著の様にイギリスの場合なら、その「割に合わない仕事」はルーマニア人に割り振られている。

 これに似た構造は他にもあって、例えばユニクロと法廷闘争まで繰り広げる事になった横田増生氏の『ユニクロ帝国の光と影』『ユニクロ潜入一年』でも明らかな通り、ユニクロとその運営会社であるファーストリテイリングは労働者の処遇について度々批判されて来た。しかし今、自分が着ている服はもれなくユニクロで購入したものだ。

 認めなければならない。自分は労働者としても消費者としても、既に下流に落ちている。

 子供の頃、親が買ってくれたジーンズ(あの頃はそんな小洒落た言い方ではなくジーパンだったけれど)は高級ではないがブランド品だった。その他シャツでも何でも、ワンポイントにブランドのロゴが入った服を買ってもらっていたと思う。他にも父親は普通のサラリーマンだったが、これまでに何台か自動車を買い替えていたし、大人になればそれが普通なのだろうと思っていた。今はどうだろう。

 今自分は3本買っても1万円以下に収まる様なユニクロのチノパンを履き、同じくユニクロで買ったポロシャツや下着や靴下を身に着けている。1本で1万円していたリーバイスのジーンズを最後に履いたのはいつだったかもう記憶にない。ユニクロなら同じ値段で全身をカバー出来る。そして最初に買った平成18年式の軽自動車を今でも大事に乗っている。そういう生き方を選んで来たとも言えるし、消去法で残った現実的な選択肢がこれだったとも言える。

 本当は趣味の読書くらいは贅沢に時間を使い、書店に行き、書架の間を行きつ戻りつしてお目当ての本を選び、紙の本を手に取る様な暮らしがあっても良い。ただ最近、実際に自分が取る方法はAmazonに発注する事で交通費や送料や時間を節約し、何なら紙よりも電子書籍の方が安いからという理由で、データで落として済ませる事だったりする。

 つまり、貧しい人間が安いサービスに依存すると、多額の利益を上げている勝ち組企業が更に利益を独占する。そして貧しい人間は貧しいが故に囲い込まれ、そこから逃げる事が出来ない。

 かくして貧困搾取型の企業を貧者が支える構造が生まれる。

 自分以外の誰かが犠牲になっている事には薄々気付きつつも、そこから目を逸らしつつ暮らす。そういう生き方が標準化されてしまうと、後戻りする事は難しい。この問題について考える時、自分はいつもリーバイスのジーンズを思い出すのだ。

 1本1万円のジーンズを履いていた頃、自分が何を考えていたのかがもう思い出せない。
 そこには今よりも希望があったのだろうか。


<真綿で首を絞められる様な変化>

 時代の変化だと言われてしまえばそれまでなのだろうか。本著にも炭鉱が閉鎖されて活気を失った街にAmazonの物流倉庫が進出して来る様が描かれている。

 こう言っては何だが、貧しい地域に大企業が進出して土地や労働力を買い叩いたりする事はどの国でも常だ。足元を見られるという奴で、企業誘致というものは多かれ少なかれそんな物だったりもする。ただ搾取対象が労働者に変わり、その労働者の内実が移民にすり替わって行く時、そこには外国人差別や移民排斥の様な解決不可能な問題が新たに発生する事にもなる。

 そして何より厄介なのは、自分達がそうした変化をここまで飲み込んで来てしまったという事だ。日本で言えば『外国人技能実習制度』などは穴だらけの悪法だと誰もが気付いているのに止められない。あまつさえその上に新たな法整備を施してまで外国人労働者を確保しようとしている始末だ。それは有り体に言えば過去の日本が築いて来た国際的信用を切り売りして現金化しているに等しいのだが、止めようという流れにはならない。

 水が高い所から低い所へ流れて行く様に、この国は自分達ごと下流へと流れている
 ゆっくりと、真綿で首を絞められる様に。
 

<これからの社会にいつか来るだろう、限界>

 この流れはどこまで続くのか。恐らく、貧困層の労働者が耐えられなくなるまで続く。
 『胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るもの』とは言うが、物理的に耐えられなくなる限界は自ずと生じるからだ。

 かつて日本企業は低賃金で働く労働者を求めて中国に進出し、中国の人件費が高騰すると今度はタイやベトナム、東南アジアの国々に軸足を移して来た。より安く、より勤勉に働く労働者を求めて行った訳だが、やがて限界は来る。これから先、東南アジア諸国が経済発展したら、今度はどこに労働者を求めて行くのか。それとも日本人が外国に出稼ぎに行く方が先か、また外資系企業の下請けとして、安い労働力として使われる様になるのが先か。

 確かなのは、サブプライムローン問題の時の様に、人間は限界まで突き進んで破綻を迎えない限り、今自分がどれだけ歪な制度に依拠して暮らしているか我が身を省みる事が出来ない場合があるという事だ。

 今の貧困搾取型に傾いた社会制度がどの様な形で崩壊するのか自分には見通せないが、その終わりは意外と早く訪れるかもしれない。いや、もう訪れるべきなのだろうと思う。

 

テーマ : **本の紹介**
ジャンル : 本・雑誌

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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