がんじがらめの日常で。

 <関連項目>

 その首輪は外れない・虚淵玄『アイゼンフリューゲル』

 現実は綺麗には行かない。

 昨日、一昨日の記事からの続き。
 コンビニで売れ残った弁当類を廃棄にする時、なぜまだ食べられるものを困った人に分けてやらないのかとある酔っ払いが言った。当然、常識的な理由はいくらもある。そんな事をしたらまともに金を払って買う客がいなくなるとか、店の周囲にホームレス等が居付く様になるとか、万が一それを食べた人が体調を崩したとしても責任が取れないとか、まあ概ねそんな理由だ。第一、店の利益にならない。バイトだからたとえ廃棄と言えども店のものを勝手にどうこう出来ないという事もあるけれど、仮に自分がオーナーだったとしても同じだろうと思う。

 ただ一方で、目の前に空腹で困っている人がいたとして、なぜ助けないんだと憤慨する酔っ払いの理屈も心情的にはわからない事もない。酔客の我侭などは論外としても、例えば明らかにもう何日も飯を食えていない様なホームレスが店の裏手で死にかかっていたとしたらどうか。とりあえず正解は警察にでも通報する事なんだろうが、その時たまたま弁当の廃棄を手に持っていて、そいつと目が合ったとしたらどうだろう。明らかに何かを訴える様な目で見られた時、人間はどうするか。

 ウチの店のオーナーにとって、そういう場合の『正解』はとりあえず速攻で蹴りを入れてそいつを追い払う事だった。実際自分も目撃した事がある。あの時は蹴りというよりジャンピングニーだったが。逃げて行くホームレスの背中に向けて「ああいうのは放置すると居付くからさ。黒犬君も見かけたら即追い払ってよ。蹴り入れるくらいだったら俺が許すから」と言ったオーナーは、虫ケラを見る目付きをしていた。
 自分はまあ、『蹴り入れても許すとかってそれ人道的、法律的にどうなのよ』と思いはしたけれど、あえて何も言わなかった。それまで廃棄は全て燃えるゴミとして処分する事になっていたので、店の裏手にあるゴミ用物置に廃棄を運んで行く時等にそういう事はしばしばあった。流石に自分は蹴りは入れなかったが、一睨みすると逃げて行った。オーナーのジャンピングニーが相当効いた様だった。
 その後しばらくして弁当容器を分別せずに燃えるゴミとして処分している事や、生ゴミをリサイクルせずに焼却している事がグループ全体として問題になり、以後廃棄は全て業者のトラックが各店舗から巡回回収する事になった。プラスチック容器は分別。生ゴミは家畜飼料に。でも一個一個包装を外して分別すると言っても物凄い量だから、それが本当に行われているかどうかまでは知らない。結果として保管場所も店内のバックヤードになり、こういうお互いにとって不幸な遭遇はせずに済む様になった。

 上の様な事態を『当然』と思うか『酷い』と思うか。どうせ燃やしてしまうか家畜の餌にしてしまうものを施しとしてくれてやる程度の事がなぜ出来ないのか。同じ人間じゃないか。家畜より先に人間に施すべきだと、あの酔っ払いは言った。今自分は思う。『いや、同じ人間じゃないね』と。同じ人間と言うのは、自分達と同じ様にしがらみの中で義務と責任を果たして生きている人間だけだ。

 しがらみっていうとわかり難いかもしれない。結局対価という事だけれど、単純に金を払わないとかそういう事でも無い。結局人間が働くのは対価として賃金を得る為で、物を買うっていうのは自分がそうして生きて来た事によって得た金を対価として支払うという事で成り立つ。特にコンビニのバイトっていう仕事は時給仕事だから、『俺が今払う金は人生の何時間分』っていう計算が速攻で成り立つ。例えばCDアルバム1枚3000円は時給1000円そこそこのコンビニ夜勤だと人生3時間に相当する。人生という言葉を持ち出すと大袈裟だと感じるかもしれないが、結局そういう事だ。その3時間の中にはいい事もあるかもしれないが、仕事っていう奴の大半は辛い事で占められている。まず時間的拘束。次に仕事に対する一定の責任とその遂行。時には因縁付けてくる酔っ払いの相手等もしなければならない。そういうしがらみの一切を背負う事無く、対価として支払う事も無く、たとえ販売期限切れの弁当であろうが手に入れようとする奴に対して、自分はキレたのだろうと思う。

 何も賃金の事だけではなく、人間が何かをしたい、何かを手に入れたいと思う時、そこには対価としての義務や責任、制約が求められる。
 会社員であろうがバイトであろうが、皆縛られて生きている。賃金という対価を得る為に、それぞれの立場で何とか踏ん張っている。コンビニで100円払っておにぎりを1個買う程度の事でも、厳密に考えればそれは100円稼ぐ為に要した人生の一部を支払っているのと同じ事だ。

 「別に自分の財布から金払って仕入れをしている訳でもなし、バイト風情がそこまで考える事もないだろ。相手困ってるんだから恵んでやれよ」と言われれば、結局は上に書いた様な理由が勝る。単純に金を払わない事にキレている訳でなない。自分達が共通して縛られているしがらみを共有せずに、他人の苦労の上にタダ乗りして結果だけ得ようとする奴を許せる程、自分は心が広くないし博愛主義者でもない。自分達と生きる前提を共有していない連中を仲間だとは思えないし、現実に仲間ではない。じゃあ敵かと言われるとそこまでではないけれど。だからそういう奴を助けよう、何とかしてやろうと思える人を自分は尊敬する。尊敬はするが、同じ事を自分に求めないでもらいたい。

 あの日の酔っ払いに対して言える事はそれだけだ。多分酔ってさえいなければ、あの中年もそんな事はわかっている筈だと思う。わかっていて、でもどうにもならない愚痴を、目の前のバイト店員に吐露したかったのかもしれない。何で世の中はしがらみばかりで、正しいと思えるやさしさが許容されないのか、と。それでも生きて行かなければならない事だけが、多分正解なんだろうと思う。

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Author:黒犬
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地方の片隅で今日も黙々生息中。

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