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明日は自分の掌に・野島一人『デス・ストランディング』

 

 『繋がり』とは何だろうかと考える。

 日常の中に、それはある。普通に。飾る事も無く。

 買い物に行く。棚から商品を取る。レジに行って会計を済ませ、車を運転して帰路に就く。そうだ、途中で給油もしよう。そしてまた通い慣れた道路を走る。言葉を交わす人もいない。買い物も、ガソリンスタンドでの給油もセルフで済ませられる。外に出ても一人。家に帰っても一人。一人でいるのは気が楽だ。遠慮する事がない。誰かに迷惑を掛ける事を心配しなくてもいい。

 でも、こんな暮らしの中にもたくさんの『繋がり』がある。

 商品は店の棚から勝手に生えて来る訳じゃない。誰かがそれを工場で生産し、また別の誰かが店まで運送し、店員が棚に並べてくれるから自分はそれを買う事が出来る。ガソリンスタンドだって、ガソリンや軽油が地下から湧き出している訳じゃない。誰かが海の向こうからタンカーで運んで来た原油が精製されて燃料になり、それをタンクローリーで陸送して各地のガソリンスタンドまで運ぶ人がいる。それから自分が自動車で走っている道路は誰が舗装した? 橋はどうだ? 家は誰が建てた? こうして今文字を打ち込んでいるパソコンは誰が製造した? 電気は? ガスや上下水道等のライフラインは誰が繋いでいる?

 そこには必ず『誰か(サムワン)』がいる。

 そんな事は誰だって知っている。子どもだって知っている。当然の事だ。常識だ。

 でも自分達は、それらが余りにも当たり前だからこそ、その事を忘れて生きている。だから『DEATH STRANDING(デス・ストランディング)』の様な物語が必要とされるのだろう。その当たり前の『繋がり』や『誰か』の存在を、思い出す為に。

 逆に言えば、デス・ストランディングの様な、人類が滅亡一歩手前のギリギリの状態に追い込まれでもしない限り、自分達は目を覚ます事が出来ないのかもしれない。でも、本当にその時が来てからでは遅いのだ、きっと。だから本作の様な物語が必要とされる。もしも現実が物語を追い越す時が来たなら、その時は既に手遅れかもしれない。

 実際に、東日本大震災の様な大災害は自分達の社会の繋がりを脅かした。

 物流網は寸断され、被災地には物資はおろか燃料すら届かず、ガソリンスタンドの地下燃料タンクはあっという間に空になったし、店舗からは商品が消えた。各地で断水や停電が起こり、自分が暮らす福島県では原発事故が起きて汚染物質が飛散した。そこまで追い込まれてやっと、自分達は今まで『繋がり』によって生きて来た事を思い出し、それが失われた事を思い知らされた。衝撃を受け、慌てふためいた。

 でもそれも、過去になりつつある。

 喉元過ぎれば、の話ではないが、当時あれだけ『絆』という言葉を連呼していた自分達は、日常が回復しつつある中であっさりとその事を忘れた。生まれた時から一人で生きて来た様な顔をして、他の誰かをしたり顔で批判したり、差別したり、無視したりする暮らしに戻って行った。例えば顔も知らない『誰か』の事を、ネット上で批判する。そうする事で少しの優越感を得る。自尊心を満足させられる。そんなみみっちい暮らしを取り戻して行った。傍目から見れば喜ぶべき事だ。傷は癒やされ、日常が取り戻されて行く事は良い事だ。でも、本当に?

 ネット上の言論空間では、常に『誰か』が『誰か』を攻撃している。批判し、嘲笑し、差別し、非難し、排除しようとしている。見えない銃弾が飛び交って、撃たれた者は撃ち返し、互いに血を流し、呻き声を上げている。その結果、本作の表現を借りればあちこちでネクローシスが起こり、いくつものクレーターが地に穿たれ、自分達は大きな繋がりを断たれて小さな集団の中に引きこもる様になった。自分が仲間と認める集団の中でだけ生きて行く事を選んだ。仲間以外の集団は潜在的な敵だし、仲間であってもいつ裏切られるか分からず、疑心暗鬼になった。それは『棒』の世界だ。互いが武器を手に睨み合う世界だ。本作が描く『縄』の世界、人々が繋がりを回復して行く世界とは真逆の世界だ。

 だから本作は問う。自分達は、互いに傷付け合い憎み合う様な『明日』が望みなのかと。

 『TOMORROW IS IN YOUR HANDS. (明日は君達の掌に)』

 この言葉がゲームの中で、またプロモーションの中で何度も繰り返されるのは、きっと自分達に問い掛けているからだ。あなたは、どんな『明日』を望むのかと。

 自分はもう中年だ。『未来』を夢見るには歳を取り過ぎているかもしれない。でも、『未来』というのがいつの事なのかと言えば、それは遥か彼方の話ではなく、『今日』のほんの少し先の『明日』を積み重ねた先の事だ。自分はどんな形の『明日』を求めるのか。自分は『明日』がどんな形であって欲しいと願うのか。その小さな自分の願い、自分も含めた『誰か(サムワン)』の『明日』への願いが連なった先に、『未来』がある。

 社会にとって、世界にとって、自分の存在は取るに足らない。自分には格好良い通り名や二つ名の様な、或いはワークネームの様な名前はない。自分はどこまで行っても『誰か』でしかない。

 でも、この世界を作っているのはそんな『誰か』達だ。そしてその中には、自分だって繋がっている。名前のない『誰か』の一人として。だから『明日は自分の掌に』ある事を忘れてはならないのだろう。その荷物を背負っているという事を、蔑ろにしてはならないのだろうと思う。

 当然、その荷物は軽くない。今より少しでもより良い『明日』を引き寄せたいと願うのなら、自分達には責任がある。辛くても途中で投げ出す訳には行かない。だから、疲れた時、孤独だと感じた時、声を掛けて欲しい。「誰かいるか!?」って。そうしたらきっと「俺がいるぞー!」と返すから。『誰か(サムワン)』の一人として。同じ荷物を運んでいる仲間として。無理に手を繋がなくてもいい。きつく縄で結ばなくてもいい。ただその手は誰かを殴り付ける為の固めた拳じゃなく、少し力を抜いて開いていて欲しい。そう、いつでも互いに手を振って合図できる様に。自分がここにいる事を。

  

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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