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生まれてきた事が苦しいのは、自分達だけじゃない・大谷崇『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想』

 

 長らくこの場所を放置してしまいましたが、何とか生きております。
 別のブログを立ち上げて社会問題に言及するなんていうまあまあ「らしくない」事を始めてしまったせいでもあるんですが、昨今の社会は色々とおかしくて、つい口を挟みたくなってしまうというのもあります。後は加齢ですかね。

 加齢と言っても「歳をとって説教臭くなる」「老害化する」という悪い意味ではなく、何かこう『社会に対する責任』の様なものを感じる訳です。既に中年であり、この社会を構成する一人である自分には、「このどうしようもない社会が、どうしようもないままで放置されている事」に対する一定の責任があるという考え方がそれです。ただ、こんな考え方はそれこそ本著に登場する『最強のペシミスト』シオランからすれば、唾棄すべき考え方なのかもしれません。


“根源的なものを垣間みたければ、どんな職業にもたずさわってはいけない。一日中、横になったまま、嘆いたり呻いたりすることだ。……”
(『告白と呪詛』より)


 シオラン程ではないにしろ、自分だって横になって好きな本を一日中読み耽り、ああでもないこうでもないとあれこれ考えるだけで日々を暮らせないものかと考える訳ですが、残念な事にそれでは口に糊する事もできない訳で、シオラン本人が何とか社会と向き合いながら、自殺という救済を先延ばしにする様に今日をやり過ごし、晩年までを生き続けたのと同様に、今を生きているとも言えます。

 オタク会話で『働きたくないでござる』という言い回しがありますが、その怠惰がなぜ自分達を惹き付けるのかという事を真剣に考えると、シオランの思想に近付けるのではないでしょうか。それは、ペシミズムにおける「人生のむなしさ」という大きなテーマに繋がる考え方でもあります。

 ペシミズムとはそもそも何であるか、という説明は本著に譲るとして、この「人生のむなしさ」というのは意外に仏教的な考え方でもあります。自分は大学で仏教について学んだ訳ですが、若き日の仏陀=ゴータマ・シッダールタは非常に多感な青年であったといいます。

 彼は釈迦族の王子だった訳ですが、青年期には内にこもって思い悩む事も多かったと言われています。そんな彼を心配した父王は、「まあ外の空気でも吸って来なさいよ」と、お供を付けて彼を外出させます。これを四門出遊といいます。

 ですが彼は外出先で、老人、病人、死者(葬儀)を見ます。そして人は誰でも老い、病を患い、やがて死ぬのだという現実を目の当たりにします。それを避ける事ができる人はいません。王族であろうと、どれだけの富を誇ろうと、市井の貧しい人々と同様に人は老い、病気になり、死んで行きます。つまり、生きる事そのものは、逃れ得ぬ苦しみです。『一切皆苦』という言葉もある通り、この世で生きる事は全て自分の思い通りには行かないものです。

 この生老病死を、仏教では『四苦』といいます。『四苦八苦』という言葉がありますが、四苦八苦の四苦とは、この生老病死を指します。じゃあその四苦に対してどうするの? という問いに対する仏教的回答は、「苦しみを生み出す煩悩を捨てよう」という方向性な訳ですが、この先を説明するととても長くなるので割愛します。

 ここで言いたいのは、仏教は素晴らしい教えなので一度学ぶと良いですよという事では全く無く、「現代を生きている自分達が思い悩んでいる事の大半は、既にあらゆる人々によって考えられ、悩み抜かれて来た普遍的なテーマである」という事です。もっと簡単に言えば、『自分達はひとりじゃない』っていう事です。

 仏陀にしても、シオランにしても、生きる事が苦しみであり、いかにその苦しみから逃れるか、折り合いを付けて行くかというテーマに取り組んだ人物だと言えます。自分達だって『働きたくないでござる』と言いながら何とか日々暮らしています。そこは『地続き』なんだという事を知ると、ちょっとほっとしませんか?

 自分達が毎日うだうだと悩んでいる事は、仏陀だろうがシオランだろうが同じ様に悩んでいた問題な訳です。歴史背景の違いはあります。科学技術の発展や文化の違いなども当然あります。でも仏教やペシミズムを含む、こうした根源的な『生きる事そのものへの悩み』から自分達が自由であった事はない訳です。言ってみれば仏陀やシオランは自分達の先輩です。歴史に名を残した偉人や賢人というよりも、学校の先輩や親戚のおじさん、あるいはいとこのお兄さん程度の距離感でとらえるといいと思います。

 若き日の彼等が様々な事を思い悩んだ様に、現代を生きる思春期の若者もまた同じ悩みを経験する筈です。その時に、本著の様な思想書をどうやってメインターゲットである若者に届けるか。表題にある様に「生まれてきたことが苦しい」と感じながら日々生きている様な若者に、そうやって悩んだのはあなただけじゃないんだ。自分達だって現在進行系で悩んでいる真っ只中なんだという事実をどうやって伝えるべきか。そんな時に、本著が星海社新書から出版され、表紙を『少女終末旅行』のつくみず氏が描いているという事に、ぐっと意味が生まれて来ます。

 この本の内容を、どんな読者に届けたいか。

 著者ができる事ももちろんあるでしょうが、本の内容以外に、その本がどんなレーベルから出版され、どんな表紙で、どんな装丁でパッケージングされるのかという事には、大きな意味があります。例えば本著が分厚いハードカバーで表紙絵もなく、一冊数千円もする様な重厚な装丁の単行本として出版されていたら、それは若者に届くでしょうか? 自分は否だと思います。現に本著で取りあげられているシオランその人の著作は、電子書籍化もされていなければ文庫になっている気配もなく、一部を除いて現在では絶版になっているのか古書の出品をあたるしかない状態です。本著を読んでシオランに興味を持った若者が、じゃあ本人の著作を何か読もうと思っても、それらが入手難であるという事実がある訳です。これは、残念な事だと思います。

 思想というのは古びない価値を持っていると自分は考えています。ただ、その思想を受け止める自分達の文化や価値観、生活様式が変化している以上、読者にその思想を届ける為には、読み易い形に新訳される事も必要でしょうし、本著の様にレーベルや装丁を読者の嗜好に寄せた入門書も必要になるのではないでしょうか。そしてシオランの思想を今この時に必要としている読者の手に、彼の著作が届けられる様になる事を願っています。

 

テーマ : **本の紹介**
ジャンル : 本・雑誌

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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