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泥中から生まれて咲く花の色は・石川博品『ボクは再生数、ボクは死』

 

 『時代の空気』っていう言葉があるけれど、2020年に本作が刊行されたのは凄く意味があって、例えば20年、30年後のネットカルチャーって更に変化しているだろうっていう事は間違いないんだけれど、その20年後に本作を振り返って読んだ時に、自分達は「あの頃の僕ら」を色鮮やかに思い出したりするんだろうと思う。

 今は子どもに将来なりたい職業を聞くと『YouTuber(ユーチューバー)』って返答される世の中になっている。ちょっと前まではそんなの考えられなかった事だ。そして自分の顔を出して活動する人もいれば、顔出ししないで活動する人もいるけれど、その中から更に2Dや3Dでモデリングされたアバターを使って動画を配信する『Vtuber(ブイチューバー・バーチャルユーチューバー)』という人たちが登場してきた。

 有名なVtuberは様々な企業の案件を受けたり、公的機関ともコラボしたりしているから、世界的に名前が知られている人が何人もいる。代表的な所でキズナアイさんとか。自分はアンテナが低い方なので、彼女が登場した時の経緯をよく知らなくて、既にブームが来た後で知ったんだよね。『日本語でしか配信していないのに、英語圏で物凄いチャンネル登録者数を得ている人がいる』『動画のコメント欄は既に英語の方が多い』『動画の入りで言う「はいどうもー!」はそのまま海外で通じる』みたいな取り上げられ方をしていた記憶がうっすらとある。自分の記憶違いでなければ。

 その後、Vtuber業界はレッドオーシャンと呼ばれるまで成長し、様々なVtuberがデビューしては消えて行くという時代に突入しているのだけれど、それがきっともう少し進んだら、本作の様な世界が来るんだろう。VR技術を使って、ネット上にあるもうひとつの世界でそれぞれのアバターを使って交流したり、Vtuberの様に動画配信をしたりする事が自然になる世界が。そこでは現在のVtuberがそうである様に、男性が女性型のアバターを使って女性として活動する事もできるし、女性が男性として振る舞う事もできる。声はボイスチェンジャーを通して異性の声質にする人もいるし、地声で通す人もいる。ていうか『バ美肉おじさん(バーチャル美少女受肉おじさん)』っていう言葉自体がもう面白過ぎるのでズルいよね。

 そして本作の主人公である28歳の男性会社員、狩野忍は、VRの中で自称世界一の美少女、シノになる。何せ有名クリエイターに『新車の軽が買えるくらい』の金を払ってモデリングしてもらったワンオフの体だ。いわゆる『ガチ勢』っていう奴かもしれない。正気じゃないと思う人もいるかもしれないけれど、丁度今朝何かのテレビ番組で『整形手術を繰り返す娘と困惑する母親』みたいな特集を組んでて、確かに母親は整形をし続ける娘に対して戸惑いを感じてはいるのだけれど、同時に「確かに娘は性格が明るくなった」と言っていた。

 理想の自分を手に入れる事。

 その為に自分の体にメスを入れ、脂肪吸引やヒアルロン酸注射やフェイスリフトや豊胸手術や歯のセラミック治療を繰り返し、新車の軽1台分どころではないお金を使う人がいると考えれば、VRの体に新車の軽が買えるくらいの金を注ぎ込んだところで『実質タダ』と言えるのかもしれない。

「でもそれってバーチャルじゃん」

 そう言う人もいるだろう。でも「バーチャルな世界やゲームの中の体験は、現実じゃないから価値がない」って誰が決めた?

 本作はゲームを題材にした小説でもあるけれど、だからこそ思う。よく言われる「ゲームに時間を使うなんて無駄」「もっと有意義な事に時間とお金を使ってれば今頃はもっといい人生を歩めてた」的な言説は、本当なんだろうかって。

 自分は今中年だけれど、自分達の世代はずっと言われて来たんだよね。小学生の頃にファミコンブームが来て、やがてゲーム機が8bitから16bitになり、32bitになり64bitになって行くのをずっと体験して来てて、その間ずっと言われていた。『たけしの挑戦状』じゃないけれど、『こんなげーむにまじになっちゃってどうするの』って。もっと勉強するなり、資格を取るなり、恋人とお付き合いをするなり、何かあるだろやるべき事がってずっと言われていた。親からっていう訳じゃない。世間から。この社会から。

 まだファミコンが買ってもらえない時に、いち早く買ってもらえた友達の家に皆が集まってワイワイやりながら順番にコントローラーを回したりしてた時も、友人同士でソフトの貸し借りをしてた時も、アーケードで『メタルスラッグ』にハマってワンコインクリアできる様になるまでやり込んでた時も(ノーミスは結局無理だった)対戦格闘ゲームが弱くて対戦台でボコボコにされるから、新作が出ても対戦台から人がいなくなるまで後ろで指を咥えて待ってたりした時も、その後も、eスポーツという言葉が広く知られる様になった今に至るまでずっと言われていたし、言われ続けている気がする。かと思えば「ゲームと現実の区別が付かない奴が犯罪に走る。粗暴になる」みたいな事も言われたりして、現実はゲームやバーチャルリアリティなんて足元にも及ばない上位世界じゃなかったのかっていう矛盾を感じたりとかね。

 でも、そうじゃないんだよって思う。ゲームやネット上の世界っていうのは、もう既にというか、昔からずっと現実と地続きだったじゃないかって。

 ネット上に作ったSNSやブログのアカウント。動画配信者が持っている自分のチャンネル。創作する人が使っている作品公開の為のサービスやコミュニティ。MMORPGに代表されるもうひとつの世界。それらの場所に存在する自分のキャラクターやアバター。そこでしか繋がっていない、現実には顔も名前も知らない人間関係。それら全てを内包するのが『自分』なんだって。そこから何かが欠けて行く事は、現実に存在する自分自身が欠けて行く事なんだって。

 そういう風に、自分は本作を読んだ。

 そして思う。『人間の欲望』を醜いものとして描くんじゃなく、本作の様にありのままに、それでいて痛快に描いてみせる事は必要なんだろうなって。

 何せ主人公の動機が『VR風俗で出会った子に頻繁に会いたくて風俗通いに金がいる。どんな手を使ってでも俺は金を稼いでやる』っていう、それは現実でもやっちゃダメな奴だろっていうもので、最初は笑っちゃうんだよね。ダメだろお前それはって。でも最初に言っておくと、これ最終的に仏教の話になりますから。仏教学専攻の自分が言うんだから間違いない。

 性欲だけじゃなくて、金銭欲とか、名声欲とか、承認欲求とか、愛欲とか。そういうものがもっともっと欲しいんだ、満たされたいんだっていうのは、まあ『煩悩』って言われて、『悪いもの』っていうイメージがある。それを隠さずに表に出してしまうのは品がないし、求めて行く事には『果て』がないから。少しぐらい得られても、もっともっとって思うし、結果それが執着になって辛い思いをするから。

 でも、それらが自分の中にあるのに、見ない事にする、蓋をしてしまう事が正しい事とは必ずしも言えない。
 こんな煩悩まみれの自分は駄目だから、考えないように、見ないようにしないとって皆考えるし、特に宗教上、信仰上のタブーにされている場合はそれらを否定的に考えるのが普通になっている部分もある。でも本心として、仕事はしたくないし、だらだらしててお金だけもらえるのは最高だし、性的な欲求不満は解消したいし、超有名人になりたいとは言わないけどSNSでいいねされるのは嬉しいし、フォロワーが増えて欲しいし、誰かを愛したいし愛されたい。自分がここにいる事を認めてほしい。

 それらの煩悩を突き詰めて、肯定的に考えて、行ける所まで全力を出した事が自分にあるだろうかって思う。

 そうすると「本当は誰かに認めて欲しいのに、声を上げないでじっとうずくまってても何にもならないだろ」とか、自分の中の欲望に向き合って来なかった、自分自身に不誠実だった事に色々と気付く。やる前から諦めていた事に。だから本作でシノがなりふり構わず金を掴みに行く姿や、愛欲まみれで他はどうでもいいみたいに突き進んで行く姿が『浅ましく』ではなく『痛快に』描かれているのが、自分は凄く好きだ。そして、それだけで終わらないという所も含めて。

 最終的にシノの欲望は、煩悩の一部は昇華される。

 それがどんな形なのかというのは本作をぜひ読んで頂くとして。いや、冒頭で笑わせてもらって、グイグイ引き込まれた煩悩まみれの物語がこういう着地の仕方をするんだっていうのが感動的ですらあったよね。自分にとっては。
 『泥中の蓮』っていうのとは少し違うけれど。蓮はきっと汚れに染まらない訳じゃなく、その汚れ=泥によって育まれて咲くのだろうから。仏教って意外とロックなんですよ。自分がロックを語れんのかっていうとアレだけど。

 だから自分は泥の中で、もう少し頑張ってやって行こうと思う。皆は、どうですか?

 

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 小説・文学

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Author:黒犬
映画と小説を主食に生きている。
地方の片隅で今日も黙々生息中。

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